いわゆるフリーゲームに関する感想や二次創作メインに投稿しています(2023年現在)。取り扱い作品:『冠を持つ神の手』

2013年11月29日金曜日

【かもかてSS】連理の誓いを

【 注 意 】
・タナッセ愛情B後、タナッセ視点三人称
・しあわせのきみと、また一年を



連理の誓いを



 黒の月。
 一年最後の月。
 その、初めの主日。
 タナッセは朝から憂鬱だった。
 いや、黒の月に入ってからずっと落ちたものは心にあり、顕在化したのが――無視しきれなくなったのが今日というだけの話だ。
 朝、妻が腕の中で健やかな寝息を繰り返す様を身じろぎもせず延々眺めてしまった程度には、タナッセはどうしようもなかった。
 ただ隣り合って寝入った夜でも、明ければ大抵彼女は彼の腕の中に落ち着いている。相変わらず小さく細く軽いけれど、あたたかく柔らかでもある身体が無防備にある。不穏など覚えようもない程幼すぎる寝顔が、ある。
 そこに、年齢も肉体も未成熟だが心だけは一足先に大人であると肩肘張っていた以前の面影はない。有力者や貴族と渡り合う際の眉の浅く立った強気の漂うけれども薄い表情にも最近では余裕すら垣間見られるようになった。
 私はきっと、本当は大人の真似事をしていただけなのだ、と彼女は昨夜微苦笑したが、その自覚は己にすら隠しきっていた幼児のあどけなさと、それでも対等であろうとしてきた経験を落ち着くべき場所へ落ち着かせたように思う。妻というより恋人のような蕩ける甘さと、領地を治める者同士としての補い合いだ。
 腕の中の存在をかけがえないと思い知らされた。同時に全身を走るのは、タナッセはかつて自分がどこまでも彼にとって都合の良い形でしかこどもの態度を受け取ってこなかったという後悔。
 彼女を強く抱きしめる。
 あたたかな身体からは、ほのかに甘い香りが立ち上った。
 飽くまで過剰な甘さは好まないだけというタナッセの指向を知った彼女は、こざっぱりした柑橘の香以外も用いるようになっている。
 今日は、花の香りがする。
 彼を包み込むような、まろやかな馨しさだった。

          *

 羽筆を走らせる音が響く。
 紙を手繰る音が響く。
 執務室には二つの音が満ちている。前者はタナッセが発し、後者は妻が立てていた。空は太陽から月に移り変わろうとしており、部屋はどこか薄暗い。間もなく明かりなくは手元不確かに陥るだろう。
 そろそろ時間かと頭の隅に置きながら手を動かす彼に、高すぎず低すぎない声が私事を話す際の甘え調子で呼び掛けてきた。
 覚えているだろうか、今日は早めに仕事を終えて欲しいと頼んでいたこと。
 手を止め、顔を上げる。日が陰りつつあっても輝かしい宝石の瞳がタナッセをじっと見詰めていた。時折恐ろしくなる程真っ直ぐな彼女の眼差しが、向けられていた。
「あぁ、勿論」
 理由はまだ教えて貰ってはいないが。尋ねても、内緒にしたい、悪いことではないから心配しないで欲しい、と返されては追求出来ないではないか。あまりタナッセが踏み込んで問うと、相当話しづらい内容でない限り喋ろうとしてしまうのだから。
 その彼女は肯きにはにかんで、良かった、と立ち上がる。部屋の隅にある長椅子で過ごすものかと目を外したが、何故か衣擦れの音は近付いてきた。花の香りが漂う。再度顔を上げてあったのは残りの書類を覗き込もうと身を左右に振っている妻の姿で、タナッセは全く、と苦笑を漏らす。
「落ち着いて座っていろ。何を企んでいるかは知らんが、茶を一杯飲み干す時間も掛からん」
 はい、と彼女は今度こそ長椅子の上に腰を下ろした。靴を脱ぎ、両の膝を抱えた様であるが、細められた瞳はひなたの穏やかだけが浮かぶ。彼は内心苦笑を深めるしかない。
 全く彼女というひとは、どれ程までにタナッセの中に食い込んでくれば気が済むのだろうか。
 それを心地良いとすら感じる傍ら、かつての己への後悔は一層募るのだった。
 腹の底からの嘆息を抱えたままタナッセは宣言通りの時間で区切りを付け、縮まって座る彼女に手を差し出す。待たせたな、と謝る。その彼に、待つことも幸せだった、と微かに紅潮した頬を横にして急ぎ靴を履いた彼女は腕を絡めてきた。
 今日の夕飯は、部屋で食べよう。というかその、そう手配してしまったので断られると、少し困る。
 異存などない。不安の伺える上目に笑いかける彼に、ただそれだけで感謝の言葉が渡され、夫婦の居室へ向かうまでずっと様々な話題を上機嫌に語り続けた。流れに彼女をこうも浮き立たせる要素があったものかと疑問しても、まるで至りはしない。特別な日ではない。特別喜ばせる返事とも思えない。
 だが、食卓に着き給仕達が出て行くなり謎は全て氷解した。
 まるで有力貴族を迎えた晩餐の席を思わせる手の込んだ料理。
 前にして、二人だけの空間で、妻は目を強い弧にした笑顔で自身を染め抜いた。
「ありがとう」
 その表情での開口一番が、それ。
 卓の上の、些か豪勢に過ぎる皿といい、怪訝を露わにして短い疑問符を返すことしか出来ないタナッセに彼女は続ける。
 今日は私からタナッセにありがとうの日だ。
 彼女は笑う。笑っている。目は上向きの弧を描き、口は下に弧を示しているが口端自体は上がっている。満面の笑み。
 あなたに、自分に、ちゃんと向き合い直した日。そのきっかけになった日。私はきっと、あれぐらい痛い目を見なければ何一つ気付けはしなかった。だから、
「ありがと、タナッセ」
 頭が付いていかなかった。
 何しろタナッセは昨年の儀式を愚かな所業と捉えており、感謝など真逆に位置した感情であるはずなのだから。けれども固まる彼を横に肝心の被害者はいそいそ蜜蝋に淡く光る袋状の布織物を下方――おそらくは椅子の下――から持ち上げ差し出してくる。贈り物だなどとおずおずと。
 反射で受け取ると、更に言葉は続いた。
 私にとって、タナッセは、あの一件は、本当に大きな転機で。物やありがとうだけでは言い表せないんだけれど、でも、何かをしたいと思って、いつも良くして貰っているしせめてこれぐらいはって。
「い、いやっ! 待て、待て待て待て。何故お前が私に感謝なんぞする。お前がそうする必要あるか。むしろ私が、私の方が……」
 感謝してもしたりないというのに。
 というか、それではこのいやに凝った食卓も謝意なのか。
 逆転現象、という語を彼は思う。明らかにずれた単語が浮かぶ程度にはうろたえていた。
 うん、と彼女は浅く眉をひそめる。
 私が何をどう私側の視点で説明しても、あなたがそうやって自分悪しでいるのは理解しているが、いや、だからこそ私は今日が記念の日だと私の立場で言う。今の私が私であるための必要な通過点だった、ありがとう、と。
 そう、いつも彼女は後悔を滲ませるたび言葉を重ねる。足下すら不確かだと気付かないまま大人ぶっていた莫迦な子供にはあれぐらいで丁度いいのだ、と。
 しかし、まさか今日この日に眼前に広がる光景を用意されるまでとは。
 想定の外に過ぎた。
 は、と。
 とうとうタナッセは溜め込んでいた息を吐き出す。時間を掛けて。
 見詰める視線は変わらず真っ直ぐだ。
「なんというか。お前には負けてばかりだな、何事にも」
 告発どころか告白された件は言わずもがな。
 母親の死の原因である刃物に震えが走るのに、寵愛者としての能力を知らしめる手段にまず選んだのは御前試合だった。あの時も硬直するしかなかったが、
「凄い、としか言い様がない」
 なのにタナッセの側を選ぶ。傍らにありたいと願い甘えてくる様は三つ年下どころか三歳児のようなそれで。
「莫迦、としか言い様のないぐらいにな」
 もう、と妻はむくれたが一瞬のちには破顔した。じゃあ今日の感謝は受け取って戴けますか、領主様、軽やかな笑い声を上げながらどこかしゃちほこばった口調で尋ねてくる。
 まだ、疼くかもしれない。
 してはならない相手だったと知ってしまったから、今はこうして落ち着いていても、これからもふとした瞬間に後悔がよぎるのかもしれない。己が出来た人間ではないのはよく知っている。
 けれど、それでも今は肯く。
「他ならぬお前にここまでされて私が突き返せると思うのか? やはりどうしようもない莫迦だな」
 この存在を支え、守りたいと望んだのだ。かつて己の差し出した赦しが至極当然であるような顔をし、感謝さえしてのける愚かなまでの強さであり脆さであり、清さである心を持つ存在を。赦されながらも同じ後悔を繰り返し、なのに大丈夫と性懲りもなく手を差し伸べてくる彼女を。
 じゃあご飯食べようか、冷めたらもったいないし。
 小首を傾げる顔に広がる笑みは、安堵したようにまろやか。
 一重咲きの白く可憐な花を連想させる素朴さに想いが刺激されて。
「――――私こそ、感謝をしている」
 彼の口を突いて出た音に、花は朱鷺色に染まる。
 頬に手を添えて身を捩る彼女を視界に収めながらのタナッセの三度目の吐息には、最早一欠片の悔恨も見られなかった。










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エンド投票愛情及び友情1位、また総合1位おめでとう記念。
タナッセなので連理の方。

→「連理の誓いを/御伽話