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2013年7月31日水曜日

【かもかてSS】ささめきごと/余話

【 注 意 】
・裏「ささめきごと」
・タナッセ視点三人称






ささめきごと/余話



 最早城を去るのみだったはずの彼は、けれど一気に忙しくなった。
 彼――タナッセ・ランテ=ヨアマキスはそれまでの自身の不勉強に頭を抱えながらも、決してその忙しさが不愉快ではなかった。理由は二つ。いかな運命の気紛れか愛しさを覚えてしまったとある存在の居場所を作ってやれるため。もう一つは、その大切な人が無事篭りを終えるかという不安を多忙さで忘れられるため。
 進捗状況を伝えてくれるよう、彼――と言うべきか篭りに入ったと彼女と示すべきか――の侍従頭には頼んである。向けられる視線にも、発される声色にも、うっすら険があったものの、タナッセは引き下がらなかった。万一の可能性を与えてしまったのは彼だが、引き下がるわけにはいかなかった。少なくとも、何も知らされず安穏としているよりは、たとえ不穏なものであろうと逐一状況を知らされるほうがましだった。
 現時点で体調が極端に崩れているという知らせはない。だが、なくともタナッセの心は最悪の事態を想定してしまう。それだけのことを彼はしでかしたのだから。
 だから没頭する。
 知識を頭に押し込んで、投げやりだった社交の場にも積極的に出て、とにかく未来の希望に目を向ける。
 とはいえ、効率の問題だ。休息は摂らねばならない。当然のように厭な予感が忍び寄り、タナッセは今、閉じたばかりの書物を再び開こうとしてしまう。けれど、侍従から声が掛かったので幸い彼の手は止まったし、何より用件を耳にして心が浮き立った。侍従は言ったのだ。
 城内からの手紙が届いたと。
 正真正銘の婚約者になった彼から届いた、と。
 手紙が渡されれば、タナッセはもう封を開ける手間すら鬱陶しい気持ちだった。もどかしく中身を取り出し二つ折りの紙を開くと、丁寧だが少し癖のある書体が見え、あぁこれが彼の字なのかとそれだけで殊の外感慨深い。
 簡素であるが情熱的な挨拶のあと、請われて選出した良書のうち、詩歌の歴史に関して記されたある一冊への感想が書かれていた。あからさまに自身の趣味に寄った薦めであったのだが、好感触な上、一冊目が面白かったから選んでもらった他の本も楽しみだ、と締めくくられており、タナッセの頬は知らず緩んでしまう。
 タナッセはどんなことが好きなのか。どんな本を読むのか。知りたいから、篭りの最中に読む本を選んで欲しい。それは、楽しい本に限らない。あなたが好きなら、それこそ学術書でもいい。
 前年の最終日、別れ際に告げられたタナッセの心を射抜くような愛らしい申し出に一晩徹夜で挑んだ甲斐はあったと思う。
 知りたいと、言われたのだ。二人目の寵愛者というだけで人格も問わず、あらゆる事象の八つ当たり先として最初から毛嫌いして、思い返すだに酷い態度だった彼を、知りたいと。彼自身ではなく、いつでも国王の息子のくせにだとか、どうせ次期王の王配だとか、そんな見方ばかりされていた彼を。
 どうしようもなく、嬉しかった。
 たまらないほど愛おしくなった。
 告発されるはずがされず、追い返されるべきが何故か居室へ――そして、糾弾されるべきはずが赦され、愛された。その上あなたの好きなものは何か、など。全くタナッセにとっては何もかもが冗談のようで、夢ではないかと目覚めるたび疑問する。
 だから、彼は腹の底から息を吐きだした。己が篭りの無事を常に祈るのは自業自得だ、仕方ない。されど、あの愚かにすぎる婚約者が苛まれるのだけは、本当になしだ、やめてくれ、と思って。以前とは大違いな心境にアネキウスも呆れるだろうが、と自嘲しながらも、祈る。
 以前。
 そう、かつて彼がやらかしたあの日からの数日における思いとは、まるで違っている。
 死んで欲しくないと思ってはいた。何故あのような愚行に及んだかの意味がなくなるから、死なれては困ると思っていた。
 考えて、悩んで、覚悟して、決意して、実行した儀式だ。それを、もう少しで印が奪えると言われたのに、中断した。
 死なせる気はなかったのだから至極当然だと、けれどタナッセには言い切れず、己の中途半端が心底可笑しくて仕方がない。何もかもが半端な、母と従弟に印持ちが居るとはまるで信じられない不出来さであると、返す返すも可笑しかった。
 そのかつてより、今のほうが多少の救いがある。
 外傷はなく、毒の類でもなく、目も覚めないから薬湯一つ飲ませられず、だから医士でさえ祈るぐらいしか叶わなかったろう。精々、冷えた身体を温める程度。
 少なくとも今は、薬湯ぐらいは服用させられるし、食事も出来る。
 タナッセはまた同じ所を行き来し出す思考を振り払うように首を二、三度左右にやって、新しい紙と羽筆を取り出した。無論、来た手紙に返事を出すためだ。読みやすい本だった、ありがとうと語る文章に言うべきは決まっている。
 謙遜するな、と。
 そう、あの程度読めるだろうことは折り込み済みで選んだのだから。憎しみばかりを募らせていた頃ですら、彼はあのこどもから目を離せずに、一挙手一投足を気にかけていたのだ。よく分かっている。知っている。

 返信の数日後には、また別の本の感想が来て。
 そのたび彼の頬は自然と綻んだ。うるさく詰まらない言葉は変わらずタナッセの周囲を包んではいたが、有り体な悪意の囁きとおよそ真逆の、彼女にしか存在しない感性と選べない言葉で綴られる内容のほうが遥かに強い。
 合間あいまに彼女の側付きから客観的な変化の推移や体調の良不良が伝えられ、一喜一憂する。ひどく遅くはあるが変化は進んでいて、体調はというと概ね低い辺りながら安定している様子だ。
「タナッセ様。一介の侍従が言えたものではありませんが、それでも口を挟む不遜をお許し下さい。……あの方は、貴方様の返事を心待ちにしておられます。何卒期待を違えられませぬよう、よろしくお願いいたします」
 先日には、斯様な釘も刺されはしたが。
 ローニカ・ベル=ハラドと名乗る侍従は、毎回何かしらの釘を刺していくが。
 致し方ない行為であるとタナッセは重々承知していたから、深く肯くばかりだ。一度は彼の主人を殺しかけた人間相手である。身分の差がどうのと文句する気は欠片もなかった。第一、タナッセとて、過去に戻れるのであれば、過去の自分に会えるのならば、言ってやりたい言葉は天に届きかねない量ある。
 とはいえ、今回の忠言は、わざわざ言われるまでもないことだった。丁寧に取捨選択され、内心を明解に示そうとした努力の痕跡著しい彼女の言葉に対し、生半可な気持ちで筆を執ってはならないと彼自身思っている。詩を紡ぎながら言葉を過信するなと師に告げられてしまった彼より何倍も、言葉に誠実かもしれない彼女。
 心の底からタナッセは感謝を覚える。対象はアネキウスであり、愛しい女性だ。何事にも懸命で、愚かなほど正直で、一人で強くあったこどもが、彼などを愛してくれたことに、感謝する。過ぎた無体には諦めを得てしまうこどもが、生きて自分と出会ってくれたことに、感謝する。

 しばらくして、ヴァイルが篭りを終えた。
 一方、彼女はどうにも捗々しくないという。待たせてごめんなさいと手紙にも書かれてあり、タナッセは返信の文章で常以上に悩んだ。原因など言わずもがな、件の《人を喰う法》である。謝罪せねばならないのは彼で、彼女に非はない。だがそのまま記しても彼女は当然のように、あなたがああいう行動に出たのはこちらにも責任があるから、と次の手紙に書いてくるだろう。
 いや、と彼は反論したいが。
 彼にとっての理由はあるにせよ、母を亡くし、突然城に連れて来られたばかりのこどもに、今まさに降り立ったばかりだった相手に、刺々しく当たったのだ。聞けば村では冷遇されていたというし、こどもが態度を硬化させるのは自然な流れだ。
 だというのに全て呑んで、寝台で半身を起こしたこどもはタナッセを赦した。……三つも下の、まだ子供である存在の心の強さには素直に感服せざるを得ず。あまつさえ彼はこどもが彼の所業に二度も諦めてしまった弱さも目の当たりにしてして。その強さを大切にしたいと、その弱さを守って行きたいと、考えてしまうのもまた彼の中では自然の流れであった。
「――――いい加減、我に返りなさいな」
 艶めいた声音にタナッセは壁へと飛び退く。笑いを含んだそれが真横から響いたからだ。次いで、自身がどこにあるのか思い出す。周囲には飾り気ない石壁、柱。そう、定時の休憩、散歩の帰り、だ。把握は出来ても冷静はそうすぐに戻らない。彼に苦笑を向ける女性、ユリリエに反射で、
「なんだ、なんなのだ突然!」
 と返し、即座に後悔する。
「何度も声を掛けたのに一切反応せず、したかと思えばまるで魔にでも遭遇したかのよう。大層なご挨拶だこと、何故か新年が来てもだらだら城に留まり続けている元王子殿下? 人がいくら呼びかけても気付かず呆けている暇があるのくらいですもの、今から少し時間をもらっても構わないでしょう? ちょうどよろしいわね、そこの空き部屋ででもどうかしら」
 暇ではない。時間なぞない。
 声の下からはねつけかけて、しかし今度は堪えきる。今でこそあでやかで女おんなしたユリリエが、幼い時分どれほど激しく恐ろしい子供であったのかタナッセは知悉しているのだ、二度目は様々な意味でない。
 ではあるが、廊下で出来ず、改まって言う程の話すこととは何か。懸念と共に彼女の後について部屋に入ると既に茶が用意されており、要は図られた。思わず顔を顰めるタナッセに眉を吊った微笑が向けられ、余人が差し掛かる警戒ない場所になったためか幾分砕けた調子の彼女は、
「良かったわね、タナッセ? 先日ヴァイル様が出ていらしたから私もそう時間がない。……えぇ、良かったわね」
「じ、時間がないのだろう。私も部屋に戻ったらすぐ取り掛かろうとしていたことがある。は……いや、用件はなんだ」
 すべきことがあったのは嘘ではない。目敏い従兄に驚く直前まで頭を占めていた彼女へ、手紙の返事の下書きを推敲し早々に届けようと考えていたのだ。
「本当に大した話ではないのよ。放っておこうと思ったのに、長引いているようだから問うてみたくなってしまった。それだけですもの」
 だからなんだ、と口にしかけたタナッセに被せる形でユリリエは半眼で彼を見やり、「手紙、遣り取りしているようね。下手なことでも書いたのではなくて?」
「ない。ないはずだ。いや、ない。そもそもあれの篭りが長引いているのはそれ以前の……とにかく違う。私のせいではあるが、違う」
 まさか死なせかけた後遺症だとはぶちまける訳にもいかず、いかにも濁した部分があると匂わせた否定になる。なのに、珍しく不明瞭は突かれなかった。
「そう。もしくはまたぞろ悪癖全開したのかと危ぶんでいたわ。タナッセ・ランテ=ヨアマキス、貴方、前科があるのだから」
 彼は彼女に手を差し伸べたのだ。彼の所業を告発しなかった故、以前指摘したようにきな臭い気配は時折あるが、どのような規模の動きが起きようと彼は彼女の味方でいると決めた。その手を離す気は毛頭ない。
 ――――この世界でお前の味方がどこにいる?
 徴をなくしたら、という過程を前提にした言ではあったものの、皮肉だとしみじみ彼は感じ入る。
 とにもかくにもだ。ユリリエに言うことかと思いつつ、言わねば解放もされないだろうとタナッセは口を開く。
「……逃げは、しない。絶対に」
 本気の恋だと、本気の愛だと言い切ったこどもに、約束をしたのだ。
 そして、
「傷つけもしない。もう絶対に」
 それは、彼が自分自身に課した決め事だ。
 存外強くなった語気にも、やはりユリリエは何も言わなかった。代わりに目を細める。
 しかし不思議だとタナッセは思う。さほど仲の良い様子でもなかったもう一人の寵愛者に関して、まさかこの従兄が首を突っ込んでくるとは。元からよく理解出来ない彼女であるが、いつになく理解し難い言動だった。
 疑問すると、喉を鳴らす笑いが部屋に広がる。
「気紛れ、ではないかしら。それで充分。語っても無粋よ。たとえばそれは、過剰な美辞麗句で装飾が施されたテリジェ子息の詩歌のように。ねぇ、ディレマトイさん?」
 はぐらかされ、結局タナッセはそのまま放り出されてしまう。忙しいのは事実なのだろう、彼女も早々に回廊の奥へ消えてしまった。

 半月程経過した、雨降り出した昼過ぎのことだ。
 落ち着いてはいた代わりに大きな成長の見られなかった婚約者の身体に、大きな異変が訪れたと連絡があったのは。
 書物の感想をしたためた手紙がしばらくなかったため、渾身の選択が外したか、はたまた、と危惧はあった。とうとうかと、タナッセは身を強張らせた。篭りを終える間際の、個人差が大きいこの辛さ苦しみが山なのだ。本番はここからとも言える。
 けれど、これで彼に出来ることはなくなった。今までの感想ペースからすると、手紙を書いている余裕のない苦痛に見舞われているだろうことは明白だ。
 彼が敬虔な信徒であれば、神殿で祈りを捧げ続けたかもしれないが、生憎とそこまでのものは持ちあわせておらず、だから机に広がる書類と格闘を再開する。タナッセに出来るのは、彼女が出てきてのちの居場所を作ることぐらいなのだから。
 思考は巡る。同じ場所ばかりを幾度も回る。彼女が成人例を迎えた日からついて離れない、鋭い慙愧の念が、頭と心で出会った時の記憶からと共に繰り返される。
 初めて出会ったその日。
 哀れんだこちらを見上げた上目の強い煌きが、再びタナッセを見つめてくれる日を願う。
 そう、そうだ。ただひたすらに溜め込んでいた感情を凝らせているだけだった相手に、別の想いを抱いたのは、そう、思えばあの忘れえぬ出会いの日だったか。見知らぬ場所に放り込まれた癖に可愛げのない態度だと、「もう一人の印持ち」に過ぎなかったこどもへの感情を動かした日だった。
 先入観に雁字搦めであっただけで、一人おかしな憂慮を抱いていただけで、あるいはその時からずっと。
「…………いや、」
 零れた音の続きは、口の中だけで紡ぐ。まさかさすがにな、と。
 アナキウスの恵みに巻き上げられた土埃の、得も言われぬ匂いを嗅ぎながら、タナッセは眉根を寄せて書面に向き直った。
 雨。
 腹立つ思い出も血の気が引く思い出も詰まった雨の中庭。
 けれど、外の様子に耳を澄まして鮮やかに浮かんでくるのは、泣きそうな顔で彼を追いかけてきた華奢なこども。そして、小さく冷たいてのひらを包み、あたためた記憶だけだった。

 芳しく御座いません。捗々しくありません。
 辛うじて隠されていた彼女の侍従頭の棘ある様も、ここしばらくは僅かながら明白に漏れ出している。
 似たり寄ったりの報告だけを耳にする毎日に過去への反省の語彙も尽き、それでもなお仕出かした非道への悔恨は尽きないまま、タナッセは日々を今後への布石で埋めていく。
 大丈夫だと思うしかない。彼女は神に愛された子なのだ。神は酷く意地が悪くあらせられると身に沁みていたが、考えずにいる。
 同じ寵愛者であるヴァイルはとうに出てきており、一昨日回廊ですれ違った時など、タナッセ篭り明けた時より俺のほうが身長あるしきっと抜くね、と軽口すら叩いていた。その従弟も、あいつも、と彼女に言及する段では声色が暗くなりがちではあった。あいつも、早く分化終わればいいのに。
 二人が遊んでいる姿は数度見掛けた。辺境の村出身であるはずのこどものほうが振り回されているのは印象的で、よく覚えている。
 そういえば、と眉根を寄せながら片方の唇をタナッセは吊り上げた。
 そういえば、その数度の内一度などは、ヴァイルに気に食わない返答でもしてしまったのか、返答が気に食わないと冷たい言葉を投げられている場面だった。当時、いい気味だと根性の捻くれた感想を持ったものだ。心底思う。以前の己は唾棄すべき思考の主に違いない。
 居室の扉が叩かれて、タナッセは羽筆を置いた。定めた休息の時刻がもう来たのか、と。二周の間、半ば逃避と化していた所領についての雑事に向けられる集中力は頭痛すら覚える深みに達していて、どうも時間感覚が薄くていけない。
 だが、違った。
 扉を開けた侍従は言った。もう一人の寵愛者の侍従頭の訪問を。週に二度の報告を頼んだが、今日は当該日ではない。
 どちらだ。
 タナッセは振り向いたまま固まる。
 どちらなのか、どちらを伝えにやって来たのか、悩む。聞かねば知りようもないのに、考える。
 あの、と控えめに侍従の声が掛けられた。分かっている、と応え、彼は重い腰を上げた。どちらであったとしても、知らねばならない。
 どこがと特定出来ない部分に相変わらずの険を纏う老侍従ローニカは、現れたタナッセへいつも通り端的に彼女の現状を告げた。彼の願い祈った結果を告げた。そう、果たして報せは良いものであったのだ。
 笑いたかった。衝動は無事への喜びであったし、歓喜と安堵に四肢が震えてしまう自身に起因もしていた。彼女は頑張ったというのに、己はなんて情けないのかと。ようやく絞り出せた言葉も凡庸なもの。
「そうか。……良かった。本当に、良かった」
 どんな姿に成ったのか尋ねても良かったのだろうが、タナッセの頭に浮かぶのは、良かったという一点のみである。他の語句が出てこない。あるのはこども時代最後の日、腕の中にいた彼が見せたはにかんだ笑顔と、良かったの一語。
 掠れ震える無様にローニカは幾分態度を和らげ、四角く小さい紙片らしきものを差し出してきた。手紙だ。差出人は無論、今しがた分化を終えたとしらされた女性で、タナッセは脆い細工物に触れるように受け取る。
 礼もそこそこに再び自室の机に座り、開封作業さえも大層もどかしく便箋を取り出した。
 大人しく休んでいろ、いてくれ、という気持ちと、新しい彼女の言葉を読める気持ちで矛盾しながら、一枚こっきりの内容に目を通す。普段は二、三枚綴られているものが一枚きりで、かつ字に普段の丁寧さがなく、急いで書き記したのだろうと知れた。
〈話したいことがたくさんある。早く会いたい。タナッセが女に成った私を気に入ってくれるか不安だけれど、顔を見て、声を交わして、色々なことを伝えたい。あなたが待っていてくれて、本当に嬉しいです。最後の本の感想も、その時に〉
 最後の一冊。
 タナッセは、というより貴族には好かれていない、書棚の奥にうずもれた作品だった。何しろ、民衆に広まっている説話や小噺を集めてあるという酔狂な代物で、そんな泥臭い話を知ってどうするのかと鼻で笑われていたから。
 だが、きっと彼女は気に入ると思った。業腹ながらあの気に食わない文官――モゼーラ・ゼネ=トカーキといったか――の意見も仰いだので、そこそこ自信があった。文官モゼーラは他者の読書傾向を把握している。タナッセは、なんのかのと理由をこじつけつつ、あのこどもから目を離せずにいた。そして、双方の意見が合致したのだ。
 故に感想は非常に待ち遠しくある。けれど、まずはやはり謝らねばならないだろう。
 同じく寵愛者であるヴァイルの篭りがひと月半であったのに、彼女は更にひと月余分に重ねている。その分の時間を奪ったのは、分化の苦痛が激しくなったのは、全てはタナッセのせいなのだ。たとえ彼女がまたも赦してくれたとして、彼の側がなあなあにしてはいけないこと。
 辛さに微塵も触れない文章を手指でなぞる。
〈話したいことがたくさんある〉彼もだ。とはいえまずは、謝りたい。
〈早く会いたい〉全くだ。また、あの無垢で真っ直ぐな表情と瞳を見たい。
〈女に成った私を気に入ってくれるか不安〉何を言うのか。彼女は彼女自身であるだけで、今やタナッセの心を捉えて離さない。
〈あなたが待っていてくれて、本当に嬉しい〉――――。
 莫迦だ、莫迦だ、と思っていたが究極の莫迦だなと、タナッセは眉根は寄せながら目尻を下げた。だがしかし、彼女の莫迦さは、愚かしさは、いっそ清々しい。彼の心をいつでも優しく暖めてくれる。
 だからこそ、自分などの妻となる道を選んでいいのかと止めたくなりもするが、前年からの体調不良を理由として、既に彼女への婚姻の申し出を差し止めるよう手配してあるのだから、我ながらどうしようもないと思う。他の男の腕の中にいる彼女など、想像だけで最高に気分が悪い。
 篭りを開けたら覚悟するといい。
 まだ見ぬ彼女へタナッセは言ってやった。会えなかったふた月半で、彼女への想いは手の付けられない勢いで燃え上がり、きっともう罪滅ぼしの意識を軽く凌駕している。
 早々に全ての準備を終え領地に引っ込んでやると彼は心に決める。
 どうしようもないと思う。
 心底から、あの婚約者が愛おしくてどうしようもない。
 けれど、悪いのは彼女のほうだ。
 短い文章なのに可愛らしい内容ばかりを詰め込んだ彼女が悪い。すっかり垢抜けて、こどもの癖に大人の目を引くようになってしまったのが悪い。こんなにも愛らしい存在を、他の誰にも舐めるようには見させるものか。
 今日の休憩は一回なしだ。
 二週間前から準備作業は滞りがちだった。取り返さねばなるまい。
 居場所がないと腐っていたタナッセが、居場所がないけれどと努力していたこどもの側に居たいと願い、こどものために、居心地のいい場所を作る。怠けてきた彼にすべき準備は山積しており、数日後には到底間に合うはずもないのが残念だ。
 活力源たる輝かしい笑顔。
 真の婚約者となったこどもがタナッセに向けた、柔らかなひだまりの笑顔。
 それを眼裏に描き出し、タナッセは置いてあった羽筆を持ち直した。











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お互いにお互いに罪悪感持ちつつも尊敬し合い、大切にし合っている恋愛関係。

多分望まれた形とはかなり違ってしまったんじゃないかと思いつつも、
書いている私自身はいつも通り適度に楽しんで(というと作品によっては微妙に誤解を招くが)適度に苦しんでいました。
というか当初は同程度の文章量でいけるよなーと見切り発車したのに増えた。
なんにせよ、7月中に滑り込みセーフ出来て良かったです。

 日記は書いているだろう→が、思考や感情の要所は詩歌で発散してるイメージ
→日記は簡素そう→手紙のやり取りは今回設定だと感想メイン
→じゃあいつも通りタナッセ視点の三人称で