べにいろドレンチェリー
【 注 意 】
・タナッセ愛情B後
・居て居ないもの
べにいろドレンチェリー
細身の娘だ。
背もさほど高くはなく、肌は透ける白。
髪はよく手入れされた長い褐色。
纏う衣装は可憐の部類に入るだろう。
そこまで把握して、タナッセは内心嘆息した。口は別の言葉を紡ぐ。待たせた非礼を詫びる定型句に、応接室の客人二人は今まで彼が目にした記憶がないぐらいへりくだった挨拶を返すものだから、もういっそ侮蔑を投げかけ追い払いたいところ。だが、しない。こうした茶番は彼があの寵愛者との婚約関係を公表した時点で覚悟していた。面倒くささではなく、想定通りの言動への呆れを強く覚えるだけだからだ。
親子らが女性を選択した寵愛者との婚約を祝う声を半ば聞き流しながら、彼は息子の方の評判を思い出す。
見目麗しく聡明な、あのぼんくら伯爵にはもったいない次男坊。
舞踏会などで時折遠目に見かける程度だったが、タナッセもそれらの言に異論はない。ただ、今のように控えめな口調ではなくもっと堂々としたそれで、可憐というよりは豪奢な衣装だったことも、彼の記憶にある。似合いのお二人ですね、と首を傾げた仕草もどこかわざとらしかった。
見目麗しいという評価には、やはり異論がない。
だが、不慣れな振る舞いは、裏の目的を考えれば莫迦莫迦しい限りである。容姿の美しさを自分で潰していたし、そもそもの話として、だ。タナッセは別にあのどうしようもない婚約者の外見が飛び抜けて恵まれているため好いたのではなかった。
確かに彼女の美しさに見惚れはする。
確かにあの愛らしさに心奪われもする。
しかし全ては内面あってのこと。
まず彼女の人格がなければ、似せて仕立てた女を連れてこられようと、心が動く訳もない。理由がどうあれ殺され掛けて、なのに首謀者を赦す。目の前の女に限らず不可能だろう。どうしようもなく愚かな、けれどもそこが愛しい彼の婚約者以外には。
適当にあしらっているうち、元々今日は顔見せが主眼だったのだろう親子は席を立つ。息子が名残惜しさを装ってタナッセへ一度目をくれてきたが、声を掛け引き留めてやる義理は彼にはなかった。
*
用意された椅子に座ると、ちょうど寝顔がタナッセの方を向いている。
来たばかりの頃、よく日に焼けていた肌は今、雪花雪膏の白。
正反対に髪色はつややかな夜空の黒。
掛布から覗く手指のみですら華奢と知れる小柄な肢体。
気の抜けた表情で寝台に横になったそれら持つ娘は、彼の気配に気付くことなくすやすや眠り続けるものだから、少し心配だ。
タナッセはいつでも来て構わない。話は通しておくから気にしないで積極的に来て欲しい。……遠慮しているのが分かったら泣いてやる。
そう笑った婚約者の言葉通り、追い返されたことは一度もなかった。主が不在だろうが、食事中だろうが――沐浴中だろうが。さすがに来客中ともなると、少々お待ち下さいと近くの貴賓室に案内されたものの、全く頭の痛い話である。侍従が扉を開けた瞬間、裸身の彼女を目撃してしまった衝撃。生涯忘れられないに違いない。
なのに時間が空くと足繁く通ってしまうのは、そんな時ですら、タナッセが来てくれた、と大はしゃぎするからだった。
普段からほんのり紅に染まった頬に、なお明らかな紅潮が起きる。
瞳の輝きはまさしく宝石のそれに。
タナッセは身を乗り出すと、昼寝する彼女のこめかみ辺りから頬のまろやかまでを右手でゆっくり撫でた。寝息は穏やかなまま。顔を近距離まで寄せても無反応なことにいっそ呆れ、苦笑を零しながら椅子に座り直す。
危機感、警戒心。
まるで感じられやしないのだ。
赦しを与えた相手とはいえ、タナッセ・ランテ=ヨアマキスはかつて彼女を死なせ掛けた人間だというのに。
言葉は、表面では、いくらでも取り繕えよう。
けれども折に触れ、心の底から安堵を覚えられるものではないと知らされる筈だと思った。そうなっても仕方がないと、覚悟した。
困ったことに覚悟は無意味と化したが。
この存在は、タナッセの想像など遠く及ばない突き抜けた莫迦だったので。
実はアネキウスの御遣いである天使だ、と口にされたなら、今の彼は疑わずそうだろうと信じてしまうだろう。
それこそ莫迦だと言う冷静もありはするが、あまりにも彼にとって都合が良すぎる存在ではないか、彼女は。アネキウスが、長年の懊悩に頭を焦げ付かせた凡夫を哀れみ使わしたかのようだ。
だから、もう一人の寵愛者が化けることを見越していたに違いないという噂や、基づいた勘違い――つい先刻の親子のような――に憤慨する。
タナッセ自身がどうこう陰口を叩かれようと構いやしない。
ただ、彼女を下世話な話題に巻き込むことは許せなかった。
彼女が穢れると、そう感じる。
腹立ちを吐き出すように、タナッセは開け放たれた窓の向こうに息の固まりを投げつけかけ、やめた。
彼女の枕元でする行為ではないと立ち上がり、しかし同時に名を呼ばれてしまう。
高すぎず低すぎない声音が舌足らずに彼の名を何度も呼んで、布団の上を手が何度もぱたぱた動く。
「……こら。おいこら、寝ぼけすぎだ。きっちり目を覚ませ」
寝台脇に膝を付き、噛んで含めるように言ってやる。と、婚約者は目を擦りながら柔く歓喜をした。
目を覚ましてもタナッセが居てくれた、と。
居た、ではなく、居てくれた、と。
夢にも登場していたのかという形容しがたい嬉しさと、僅かに見えて大きな差違に一瞬喉が詰まる。寝起き特有の地に足付かない声や発音が余計にまずい。焦るタナッセは悪癖の自覚があるものの説教を始めてしまう。
「お……おっ、お前の夢なんぞ知るか。大体なんだ、昼寝とは。もう子供ではないのだぞ。ないのだから、子供の無邪気ではもう済まされ……済まされなくて、だな、その……その、外では疲れていようが間違っても眠ったりするなとその、なんだ」
けれど、言いながら勢いが落ち、詰まり掛ける。己の発言が焦りの原因に戻ってきたからだ。
外で今の彼女が眠ったらどうなるか。タナッセがどんな危惧をしているのか。
考えてしまっての自滅である。
半端な叱責を受けた彼女は片肘を付き半端に上半身を起こしたまま、熱で上気し紅を濃くした頬と唇が小首を傾げつつ問うてきた。
タナッセはどうなのか、と。
「どどどどうって何がどういう意味でどんな意図だ!」
別の意味で頬を染め上げ叫ぶが、小さな唇は動かない。
逆側に小首を傾けながら彼女は寝台の上に座る。
正座を崩したような形で両太股の間に両手を広げ、無言で顔を上げ、上体も軽く反らし。
そうしてからようやっと、タナッセなら、と囁くような言葉があった。
タナッセは、無邪気で済まさなくても、我慢しなくてもいい。されたくなんかないから、我慢。
ついに鏡石のような黒瞳は瞼に隠されてしまう。
小さく突き出され、僅かな隙間すらある唇の望むところなど知れたもので、だが、そんな程度で済む気がまるでしないから問題なのだというのに。一番下世話な行為で穢してしまえるのは、彼女を特別視し、彼女が特別視するこのタナッセ・ランテ=ヨアマキスに他ならないのだから。
彼は躊躇い、逡巡しながら身をかがめる。子供の時分とまるで変わらぬ脆いつくりの肩を包み込むように手を乗せる。そうして、言い聞かせる。
口付けだけだ。
婚約者の望みの一端を叶えるため唇同士を触れ合わせるだけなのだ、と。
石より硬い意思は、けれど重ねただけで零れた甘い吐息で泡より儚く消え去った。
*
ぼんくらで引きこもりがち、褒められる点と言えば比較的整った顔立ちと舌鋒の鋭さくらい。
息抜きに中庭を歩いていたタナッセは、婚約者がそんな貴族の男と談話している姿を発見してしまう。
相槌を打ちすぎず、適度に先を促し、されど当たり障りのない彼女にめげず、男は彼女が好みそうな服飾の話や物語の話を振っていた。眉も目尻もタナッセと話す時より幾分釣っており、彼女になんの感慨も与えられていないのは明白だ。それでも立ち話は止まらない。
彼女に無駄な気と時間を使わせるなと、タナッセはわざと周囲の緑を掻き分け進む。二人はほぼ同時に彼に向いた。反応が対照的で幾らか頬が緩んでしまう。婚約者は満面の笑みで彼の名を口にし、貴族の男は満面に嫌悪を浮かべ黙りこくったのだ。
さすがにこうもあからさまであると、食い下がるのは得策でないのは愚鈍そうな男にもよくよく分かったらしく、お邪魔なようですのでと一礼して去っていく。
貴族の間で言われてるタナッセ像を元にしたような人選だ、と彼女は半眼になった。誰も彼もタナッセを莫迦にしていたくせに最近は妙に持ち上げたり、こういうことをしたり、凄く不愉快。
「そうか? ……あんなものだろう、私は」
突出した能など一つもなく、交流は自ら絶ち、強いて褒めるにしても厭味と皮肉が絶えないところが可能なぐらい。
だというのに寵愛者らしく育った美しい女性を手に入れ、あまつさえ、
「……タナッセ」
事実を述べただけなのに冗談を言うなと言いたげに眉をひそめてさえ貰える程、愛されている。いいから、と腰に手を回し抱き寄せれば、タナッセが珍しく積極的、とはにかみながら身を寄せてきた。
積極性の発露ではないが、訴えるには羞恥が勝つ。お前にその気がなかろうとも、他の人間からその種の感情が向いていると思うだけで苛ついてくる? 言えたものか。訂正はしないままいると、上目で彼女がねだってきた。
して欲しい、昨日みたいなあれを。
けぶるような長い睫毛を微かに震わせ窺ってくるその様に、細い肢体を寝台に縫い止め口腔をまさぐった記憶が蘇る。
少し、困惑した。腹の底、不快も覚えた。
どちらも期待に目を輝かせる婚約者への感情ではないが、彼女に起因するものではある。
上面が似た女を宛がってやろうという空気が不快だった。軽んじられたかのように感じるからだ。彼女の大切な部分も、タナッセが彼女を大切に思う心も。
寵愛者だからと、籠り明けに花開いた見目がそれに足るからと、愛を囁こうとする奴らが不快だった。欲得尽くで、いかがわしくて、そんな目で見て良い存在ではないのに。
けれども。
散々彼女の清さを考えたものが、一番の問題は自分自身なのだ。
それを守りたいと思う心と裏腹に、タナッセ自身が望むが故に今も甘い願いを叶えてしまいたいと感じている。
いずれ、どのみち、夫婦となれば自然に昨日以上の行為を為すのだ。だから落ち着け、と幾度も己に言い聞かせ――さりとて宝石の煌めきを見せる幼い表情に全てを否だと掲げる勇気もない。
はあ、とわざとらしく大きな嘆息を漏らす。そして、
「こ、こんなところで何を言っているんだ、莫迦か」
多少どもりはしたが、吐き出した息の意味とは異なる文句を口にした。
だが、と続けていかにもこちらが譲歩したと言いたげになった形になったものの、どう言葉を繋げればそう響かないかまでは頭が回らず、仕方ないといった体を取ったまま肯く。
「だが、そうだな、人気もない。下らない輩も消えたところだ。だから――――」
タナッセは身をかがめた。腕の中の華奢な身体は軽く引き寄せる。
顔が、近付く。
そして今日こそは、甘いだけの口付けを。
愛おしい彼女の、柔い薄紅色の頬に。
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タナッセは「知恵の時代」で色々おなごの好みを並べ立てますが
どう考えてもそれら条件がクリアされたところで
奴がゴールインしそうな気はサッパリしません(友情後は除く)。
出奔エンド(無関係時の通常エンドロール)とか憎悪Bとか死ぬまで独り身の予感。
母さん俺久しぶりにちゃんと有言実行出来たよ!
ギリギリだったけど3月中作品皆無は避けられたよ!
ところで母さんって誰で、俺って誰!