いわゆるフリーゲームに関する感想や二次創作メインに投稿しています(2015年現在)。取り扱い作品:『冠を持つ神の手』

2014年1月5日日曜日

【かもかてSS】その指止まった迷い蝶

【 注 意 】
・タナッセ愛情B後かつ一応「てのひら幻日環」後、
 どうしても駄目なこと・それでも出来ること
・三人称と一人称、モブ視点一部アリ



その指止まった迷い蝶



 【 0 】?? days / φ



 どうしたらいいのか。
 何が出来るのだろう。
 領主夫妻に近しい侍従や衛士の間には数日、沈鬱な空気が漂っている。それというのも、夫妻のうち、邸の明るさを担っていた妻の方がまともに笑いも泣きもしないためだ。
 夫の方は決して悪い人物ではなかったが根っからの貴族であり、寵愛者らしく遜色なく――分野によっては夫以上に!――こなしはするが田舎暮らしが長いせい彼の配偶者は良くも悪くも心理的距離が近しかった。その彼女が、常日頃見せる百面相を見せない。
 彼女に出来る仕事はこなす。裁量の範囲で全てをこなしている。
 客人への対応は平時と変わらず、周囲への指示もしっかり執り行い、夫の居ない穴を埋めようとしていた。必要であれば、微笑むし眉を吊り上げもする。ただ、そうした時間以外は寝込んだ夫から離れようとはしなかった。
 似た事態は数ヶ月前にも起きており、けれど件の一件とは決定的に異なる点がある。
 彼女の夫は、領主は。
 他ならぬ彼女を庇って大怪我を負った、という。
 そして彼らは――非番だったものもいるが――庇われた彼女の、筆舌に尽くしがたい姿を目の当たりにしているのだ。
 領主の穏やかさに彼女が欠かせないというのは、城から付いてきた者たちの総意であった。
 同様に、かの寵愛者の朗らかさには、あの領主が欠かせないのだ。
 それを誰もが思い知らされた数日だった。





【 1 】3rd days / lady's maid

 まぁ、正直みんな気を抜いてたと思う。
 だって奥様は、奥方様は、継承権とやらを放棄してた。強いて言うなら、本気で子供を作る気も誰かと結婚する気もないっぽい六代国王の代わりにどうこう、とかだろうけど、それだって難しい。なんだかんだ言われつつも、旦那様は先代国王のたった一人の御子。与えられた領地だって狭いけど優良で、しかも無能扱いだったはずが領主になってみれば領民から不満爆発なんて話もなく、ついでに人付き合いまで積極的にこなし始めて。
 まさか、こんな考えなしをする莫迦がいるとか、あるわけないって思ってた。
 まさか、視察中のお二人に刃物を向け迫ってくる莫迦、とか。
 ……世の中には考えも付かない莫迦なのがいるんだって勉強にはなったけど、でも、今は教訓よりも奥方様を、わたしの仕える彼女をどうしたらいいのか。そっちについて、誰か教えて欲しい。
 手慣れた様子で旦那様の身体に巻かれた包帯を彼女は変えていく。お医者様にさえ舌を巻かれたその手つきが何に由来するか、わたしは知らない。ただ、声を掛ける。
「昼食、お持ちしました」
 こちらでお召し上がりになりますか、とは、もう尋ねない。手当中かどうかも、気にしない。もう少ししたら遠方からの客人が到着してしまうから、とにかく一口でも多く食べて貰わなきゃいけない。
 顔だけをわたしに向けた奥方様は、強いて浮かべたと誰にでも割れる作り笑顔で、
「ありがとう」
 それでも肯いた。
 やだなあ、旦那様倒れたのたかだか三日前なのに、痩せた気がする。
 というか、こうやって気を遣ってくるもんだから、何言ったらいいのか全然分からなくなっちゃう。無理しないで下さいって言ったこともあるけど、今無理しないでいつ無理をするのか、領主が不在なのだ、とずれた返しをされちゃった上、発言の真意を修正するより早く次の客人に会いに行かれてしまった。
 領主代行で、看病もして、奥中庭の手入れだって、こっちに投げちゃっていいのにきちんとこなしてらして。
 旦那様、寝てる場合じゃないですよ。お医者様も、もう大丈夫ですよってお墨付きくれたんだから、さっさと目ぇ覚まして奥方様の無理止めて下さい。
 もう大丈夫、が容態の安定を告げたものだと分かってるけど。
 容態が安定したばかりの相手に言うことじゃないってのは、分かってるけど。
 喉越しのいいもの中心の昼食は、幸い全て食べて貰えた。……良かった、久しぶりの完食だ。
 あぁ、こんな心配本当ならしなくていいことだってのに。
 元凶を力一杯殴ってやりたい。
 旦那様が倒れた日。
 同行していたお医者様が見ようとして、奥方様は縋り付く自身を離そうとして、出来なくて。
 私をどうにかして、身体が動かない、早くこのひとを、と掠れて震えた声で言って。
 仕方なく、わたしとお医者様で無理矢理引き剥がした。
 大して身長さないのに、びっくりするぐらい細くて柔らかくって、力一杯目一杯掴んだら痣になっちゃうんじゃないかって思った。この人に力ずくなんて真っ平ごめん。指握り込んで力一杯目一杯何かするってんなら、暴漢にしたかった。まぁ、莫迦は莫迦でも訓練された莫迦だったもんだから、さっさと自殺しちゃったんだけど。
 そう、お二人を酷い目に遭わせた奴は、死んだ。
 どこで調達したのか衛士服を着た男。
 毒で死に行く人間なんて初めてだったから、正直震えたし、夢に出てくる。
 でも、奥方様の方がよっぽど衝撃だった。
 綺麗な顔に浮かぶのは、“領主の妻”ならきりっと格好いい表情で、旦那様の……“タナッセ様の妻”ならふんわり可愛い表情。いつもきらきら、素敵な方。
 わたしが知ってるうちの、どっちでもない、どっちにも区分されない奥方様を、あの日初めて見た。そして、今だって眼裏にはっきり浮かんでくるんだ。





【 2 】1st days / lady

 当たり前のように腕を組めるようになって久しい。
 腕を絡め、身を寄せ、唇を触れ合わせ――して構わないかと尋ねずにそういった行為が出来るようになって、どれくらい経ったろう。
 今日も、自然にタナッセの腕を取って、邸からさほど距離のない東の地で案内人の話を聞いている。水源及び水路の関係もあり町の直中に位置する畑には、特産品である多年草が植えてある。染料として使う分には白藍だという花は紫がかっていて、どうにも不思議な心地だ。
 そう、視察なのだ、これ。新米領主夫妻としての政務も一段落付いたことだし、と少しずつ二人で近場から領地を見て直接話を聞いているけれど、やっぱり実際に足を運ぶと一層身近に感じる。責任も強く感じる。
 彼も同じだろうか、と顔を見れば視線の意図を問われたから、考えていたことをそのまま言う。すると、無言で微笑まれてしまう。
 思わず、みとれる。
 頬に熱が上がる。
 どっちも恥ずかしくて誤魔化したくて、腕を放して数歩先に行った。次の場所へ行こう鹿車へ戻ろうと促す。衛士達も移動の準備を始めていて、周囲は静かに慌ただしい。
 いつも通り世話をしている農民もいるし、通りを隔てて大きな市も開かれているし、混雑を逃れた一部の住人は遠巻きにこちらを見ているし。
 あぁ、寄ってこようとした町の子達が衛士に追い払われてる。小さい子は機敏な分、人手が割かれて大変そうだ。
 一方大人からは、寵愛者様だ、という声が聞こえたから手を振ったりもして。
 なんとも賑やか。
 笑みの種類を苦笑に変えたタナッセと、その背後から彼の護衛が来て。
 落ち着き始めていた頬の熱はまた暴走し出す。
 私は赤い顔を隠すように、それを確かめてすぐ鹿車の方へ向き直って。
 あ、と声が響いた。
 私のものでもタナッセのものでもなく、でも誰のそれか確かめる時間は与えられなかった。反射で声が響いた左側を向いたとき、馴染んだあたたかさと匂いに包まれたからだ。
 一番安心出来る感触。
 なのに、一番嫌いな臭いがやってくる。
 誰かの熱に包まれて、ねっとり絡みつく臭気を感じて。
 既視感が喉を軋ませた。声量もでたらめな音の羅列が自身のそれと分かっていても止められない。喉に痛みを感じる私の顔を、誰かが覗き込む。ううん、違う。誰か、なんかじゃない。
 タナッセ。
 タナッセが、ほっとした顔で覗き込んでくる。
「怪我、は……していない、な」
 背を撫でさするてのひらを、感じる。妻にするそれじゃなく、小さい子にするような撫で方で、ゆっくりと。
「大丈夫、だ。大丈夫だから、落ち着いてくれ」
 掠れた声が、囁くような小ささが、それでも耳に届く。抱きしめられて、ぴったり身体が合わさって、だから届く。ようやく、届く。
「……泣くな、」
 吐息も同然の声が私の名前を呼んで。
 ずっしりの重みが急に掛かった。
 後ろに倒れかけ、でもそうならない。
 理由を確かめられない。
 いつの間にかうるさいことをやめていた喉が、わめいた。
「や……やだ、何……やだ! ――――タナッセ!!」





【 3 】2nd days / lady's maid

「塗ってはなかったんだって? 毒とか。片手落ちな刺客だなあ。そんなのに隙を突かれたって……やっぱ私らの気が抜けすぎてたとしか言えねえな」
「目的違ったんじゃない? 奥様を刺そうとして、領主様が庇った、じゃないのよ。奥様を盾に脅すつもりだったからあんな短刀で、って……」
「あー、かもなあ。でも何要求する気だったのさ」
「はいはーい。僕思いますに、離婚じゃないです? 奥様が浮気してて――――」
「奥様付きのあたしの前でその先言う気? 本気で? いえ、正気で?」
「すみませーん……」
「落ち着けよ。どうせ聞き飽きてるだろ、あんたはさ」
「だって、特別好きじゃないあたしにも分かるくらいなのよ。どれだけ奥様が…………気分良くないわ。勝手に耳に入ってくる分には諦めもつくけどね」
「あぁはいはい、話変えようや。あーっと……」
 わたしはようやく足を踏み出すことが出来た。
 廊下に三人の「あ」が重なって響いたけど、いかにも今し方来ましたって顔で茶器を乗せたトレイを手にずんずん進む。
 目指すのは邸の主達の寝室。
 客の帰還と共に奥方様はそっちに戻ってらっしゃってる筈だから、せめて心安まるお茶の一杯ぐらい飲んで戴かないと。ほとんど食べなくって、ほとんど眠ってない。そんなの持つわけない。だからとっておきのブレンドを用意して貰った。今夜はもう少し長く、短くてもいいけどもう少し深い眠りについて欲しいって思う。
 予定だったお客様。旦那様の容態を気にしてやってきた近場の有力者。増えた鳥文や、遣いの持ってくる手紙。元々、ランテの血筋の元王子と継承権を放棄したとはいえ寵愛者って組み合わせのご夫婦で、無駄に来客や嘆願書の類、多いのに。
 旦那様居ればなあ、って思う。ま、旦那様いりゃそもそもこんなじゃないんだけど。
 ぐるぐる考えながら歩いていると、部屋の前を通り過ぎていたみたい。奥方様の姿が曲がり角の向こうに見えた。邸内に点在する素朴な花が可愛らしい栗鼠の額ほどの中庭はここにもあり、三方に開けていて向こうがよく見えるけれど、
「うん?」
 旦那様の護衛のモルさんと、奥方様。
 異色といえば異色の取り合わせがそこにあった。
 なんとなく、声を掛けそびれる。
 少し俯き気味な奥方様は、痙攣するみたいに唇を何度か動かして――結局黙り込んだ。より俯きが強くなる。表情は、ない。何も浮かんでない。わたしに分かんないだけかもしんない。
 モルさんは身体の両脇に下げていた握り拳をゆっくりゆっくり開いた。
 開いて、ぽん、と。
 俯く奥方様の頭に乗っけた。しばらくそのままだったけど、彼女が軽く身じろぎしたのを契機に手を下ろす。……手こそ動かなかったけど、なんか、小さい子によしよし、ってしてるみたいだった。
 モルさんは相変わらずの仏頂面で、多分時間的には昼食を食べにだろうか、去っていく。
 奥方様は、しばらく動かなかった。
 そろそろ、とわたしが一歩を踏み出すと同時、鐘の音が鳴り響き、ぎくしゃくとこっちに歩き出す。普段のおしとやかな歩幅じゃなくって、子供みたいな大股でこっちへ来る。
 あぁ、今更ながらにむかむかは強くなる。
 なんで奥方様が浮気なんかしなきゃなんないんだ。
 なんであんな憔悴してる奥方様が仕向けたなんて、面白半分に言えるんだ。
 ほんと、一発ぐらい殴ってやりゃ良かった。腹立ちも程度が凄いと逆に涙腺に来るらしく、鼻の頭や眼の奥が熱くなってくる。
 俯いたままの奥方様を、わたしは寝室の扉の前で待つことに決めた。





【 4 】4th days / φ


 目が覚める。目を覚ます。
 運び込ませた簡易寝台の上、領主の配偶たる彼女は嘆息と共に身体を起こした。上半身を起こすにも、両腕の力を要する。
 辺りは薄明るい。まだアネキウスは目覚めきってはいない。
 けれども彼女はそのまま起き上がり、すぐ隣の天蓋の中で横たわる夫の様子をじっと見詰め、顔に自身のそれを寄せ、
「…………」
 安堵の息を零す。
 一昨日より昨日、昨日より今日。顔色も呼吸も落ち着きを取り戻しつつあったが、それでも毎朝の確認は行う。
 あとは目覚めを待つだけだ、と医士はたったそれだけの言葉を噛んで含める調子で昨夜彼女に言った。成程、毒はなく、傷口の膿んだ様子もなく、熱と痛みでだろう寄せられていた眉根も今は平坦だ。
 初日は本当に酷かった。二日目も、思い出したくない。三日目、深夜に飛び起きても苦しげであったのに、朝起きると幾分楽そうで、それからは彼女が部屋を訪れるたび緩やかに落ち着いていった。
 夫の乾いた唇に唇を重ね、伸ばした舌先で湿りを与えても、耳に馴染んだ叱責は聞こえない。
 あの男がここに居ればいいのに。
 眉尻を下げる彼女は寝台の脇に腰を落とし、唇だけで呟いた。
 やはり声は返らない。
 だが衣擦れが起きる。
 転ぶかのように立ち上がる彼女の目に、身じろぎする青年が飛び込んでくる。喉で発する唸り声と共に、寝返りを打つ。それは、痛みにすら碌々反応が出来なかった時を知る彼女にとっては福音であったが、頬を緩めたのも束の間、焦燥の色に塗り替えられる。
 傷、と悲鳴に似た一語と共に掛布を払って腹部をまさぐりだす。
「あ……」
 しばらく当てていても指は湿りを覚えない。
 脱力した様子で彼女は衣服と布団を整え、かたつむりの鈍さで簡易寝台に戻った。
 情けない。
 両の膝を抱え、そこに顔をうずめ、吐き捨てる。
 あとに続く音はない。沈黙だけが降り積もる。
 部屋の外、静かに朝がやってきて、ようやく彼女は再び立ち上がった。控えの間の医士や侍従に声を掛け、自身は私室に向かう。数歩後ろに侍従や護衛が付き従うが私語はない。常より大股で淑女らしからぬ仕草であろうとも、誰も何も言わない。
 ただ、普段は羞恥から着替えを手伝わせないと知る側付きの一人が、私室で衣装を並べた彼女に歩み寄り、言う。
「お手伝い致します」
 考える仕草を見せたあと、彼女は小さくちいさく肯いた。
 布を宛がい、ピンで、あるいはボタンやリボンで留め、一人でも脱ぎ着が容易なように作られたドレスは二人の女の手でかたちになっていく。
「寝返り、打てるぐらいに為られたんですね、旦那様。昨日一日であんだけ元気になられたのにもびっくりしたのに、凄いです。明日はきっと、目ー覚ましちゃいますね!」
 目に優しい髪色の従者は覗き込むように――幾らかその側付きの方が上背があった――主に笑いかける。
 そう思うだろうか。
 彼女は首を傾げる。だが、それが疑念したためではないと続く言葉で明らかになった。
 そう、普通に考えれば、そうなのだ。私は無駄に色々考えて恐れてしまうが――その思考を廃し、並べられた材料だけを組み立てれば、確かにあなたの言う通りのはずなのだ。
 言葉は更に続く。
 けれど、でも、と。
 涙が溢れ出るのを押さえるような、しかし乾いた上目が続ける。
 それでも私はこわい。あのひとが母さんのように喪われてしまうのではないかと、どうしてもどうしても、こわくて堪らない。





【 5 】5th days / lord

 たとえ、数日前をやり直せたとして。
 次に同じ状況が目前で起きたとして。
 彼女を助けないなどという選択肢は、彼にありはないのだ。
 心も外見も穢れからほど遠く、成人して久しいとは思えない幼さと脆さを持つ、けれど確かな強さを持つ女性。
 おそらくは、全ての弱さを抱えたままでもその強さで一人立てるだろう彼女を、けれど支えたかった。共にありたかった。望むのであれば、甘えさせてやりたかった。
 そして、もう傷ついた彼女など見たくないから、守りたかった。苦しむ姿などかつての愚行で充分だ。手足を縛られた小さく軽く――およそ生きているとは思えぬ冷たすぎる身体。
 妻が腕の中で眠ってくれる今でこそなくなったが、そうなるまでの間は頻繁にあの日の夢を見たものだ。船に乗っている間ずっと抱いていたのに、冷え切った身体には熱が伝わらなかった、与えられなかった。呼びかけても返事をせず……思い返せばあれが彼女の名を呼んだ最初だった。首や足はタナッセが走るごとに人形のようにゆらゆら揺れていた。
 当時こそ心の弱さから死なれたくないと思っていたが、夢で半ば俯瞰した彼の胸に走る感情は死なれたくない一点のみしか被っていない。当時の彼が持たざる思いを、彼は抱いていたからだ。
 失いたくなかった。失えなかった。
 腕の中苦しげに哀しげに顔を歪めるこどももまた、一人の人間として懊悩を抱えていた。なのに先に拳を振りかざしたのはタナッセで、三つ年下のこどもはそれを赦した。まだあの時、告発しなかったこどもに彼は確かに不審を抱き、負の感情に全身を浸していたのに、だ。
 完敗だった。
 その存在がなくなるなど、到底受け容れられるはずもなかった。
 夢の中で、いつもそう思っていた。
 だから、今もそうだ。
 タナッセは彼女を助けることを、望む。
 今回同様に泣かれたとしても、きっと。
 無論、彼女の涙はやはり赦せないのだが――。

 浮上する意識の狭間、刹那に滑り込んだ思考を言葉にすれば、そのようになる。
 だから、目を覚まし、まず妻の無表情が目に入ってしまったタナッセが言うべきは一つだけだった。
 彼女の名を呼ぶ。
 愛おしい音の配列を口にする。
 そうして、
「……泣くな。お前に泣かれるのは、たまらん」
 掠れ、引っかかり、無様な発声だった。それでも伝えた。
 おそらく自分は数日寝込んだだけだろうに、やせ細ってしまって見える彼女が寝台から少し離れた位置で立ち竦んだまま、唇を空回らせる。普段は瑞々しい淡紅色は見るかげなく色褪せ、痛々しい。二度三度、彼女は音を伴わぬ動きをして、
「おくがたさま!!」
 くずおれた。
 彼女の侍従とほぼ同時、名をがなったはずが、さすがに数日機能させなかった声帯には負荷が高かったらしく声が伴わなかった。
 長い髪。指通り良い、絹糸のような髪。黒の、やはり艶を欠いてしまった長いそれが空に模様を描く。
 後ろに控えていたらしい彼女の側付きと、咄嗟に駆け寄ってきた様子のモルが支えたおかげで、最愛の女性が床へ倒れ伏すのは避けられ安堵する。小柄で華奢な肢体が男性としても体格に恵まれたモルに抱き上げられると、いっそ幼児と大人のようだった。
「……い、おい、平気なのか。熱か、いや庇いきれていなか、たか」
 大声を上げようとしたあおりを喰らいながら問う。
「後半は絶対に問題ありません! お熱も……えぇ、ありませんね」
 侍従が頬や首に手を当て確かめ、「ただ、奥方様はその、旦那様の代理を頑張ってらして、旦那様のお世話も……率先してしておいででしたので」
 気を張り詰めた数日間だった、ということだろう。無理をさせたのが彼のせいであるのは明白過ぎて、胸が痛んだ。
 退室しようとする護衛と彼女の侍従に念のため医士に診せるよう指示をすれば、
「旦那様もです。ちゃっちゃと治して下さいまし、奥方様のために」
 常に無口な彼の護衛はさておき、己の主人への気遣いが返る。本来許されざる言葉遣いではあったが、形は違えど彼女を大切だと思う者からの忠言に苦く笑うしかなかった。
 それにしても、言えた義理ではないが心配を掛けてくれるものだ。タナッセは不健康な妻の姿を眼裏に思い浮かべる。
「さっさと起き上がれるようにならねばな」
 誰もいない室内で独りごちた。
 凶刃から彼女を守った際、彼を抱き止めたのはあの細腕だ。けれど今日、タナッセは彼女をそうしてやれなかった。
「全く、不甲斐ない」
 吐き捨てる。何日眠っていたかは知らないが、声一つ自由にならないとは、いかにも情けない。
 首を振ると、視界の端に粗末な寝台があるのが目に入った。そこを誰が使用していたか、など、控えの間から入ってきた医士に問うまでもなく自明の理だ。ずぶ濡れになりながらタナッセを追いかけてきたかつてのこどもを思わせる度し難い行動である。しかもあの時と異なり、己を顧みず無茶する彼女は調子を崩してしまったのだから、一層情けなさが増す。
 雨の記憶のきっかけはやはり彼の愚かさが招いた行為だが、目覚めたこどもに謝罪としてタナッセは、なんでもしてやると口にした。今回も、やはりなんでも好きなようにしてやろうと考えるも、即座に制止がかかる。何しろ、なんでもしてやるなら、とこどもは一緒にありたいなど願って――彼にとって都合が良すぎる言葉を言って。
 駄目だ、と思う。
 しかし「なんでもさせろ」は……おかしいにも程がある。
 なら、タナッセが彼女の望む通りに動く「なんでもしてやる」ではなく、タナッセが彼女の為すがまま抵抗しない「なんでもさせてやる」だろうか。
 とにかく、身を起こすことすらままならないでは、抱きしめてやることも叶わない。医師の診察を終えた彼は、傷口は痛むわ全身が火照ってだるいわ頭痛も激しいわと酷い自身を休めるべく、目を閉じた。





【 6 】6th days / lady

 起きる。
 朝。朝だ。馴染んだ朝。最愛のひとのぬくもりを感じながら目覚める朝。
 つまり気分は最高で、目覚めも良好で、私はタナッセの熱っぽい頬に口付ける。この熱も、今日明日で収まってくれるよう期待しながら。
 早くいつものように執務室で一緒に仕事をしたい。
 ふと顔を上げると彼が居て、視線に気付けば彼も顔を上げてくれて。
 客人は一緒に出迎えて、奥中庭で休憩をして、誰より先に彼に詩を見せて貰って……。
 タナッセとしたいこと、たくさんある。
 目を覚ましてくれて、良かった。本当に良かった。
 私はもう一度、タナッセの頬に唇を落とした。

          *

「あーん」
「…………」
 匙を掲げる。どことなく嫌そうな顔で、仕方ないけどしてやろうという顔で、タナッセは口を開いた。少し赤くなった頬に私も照れる。でも、嬉しい。目を開けて、顔色も随分良くなってきて、むっとすることを私がしたら素直に眉根を寄せてくれて、ちゃんと食べてくれる。
「好き。タナッセだいすき」
「……ぐっ!!」
 気管に入ってしまったようで、彼はしばらく咳き込んでしまう。慌てる私にしばらくして落ち着いた彼は言い放った。
「ば、ばっ、何きゅ、莫迦か貴様! 殺す気か!」
 そんなことあるものか。というか、今は冗談でも聞きたくない。それに莫迦じゃない、本当のことを言っただけだ。何日も言えなかったからもっともっと言いたい。何度言ったって足りないし、言葉だけじゃ伝えきれないけれど、それでも。
 そういうところは嫌い、と唇尖らせて私はまたスープを掬いタナッセに差し出す。彼は歯噛みしたけれど、また口を開いてくれた。瞬く間に減っていく朝食が嬉しくて顔が自然ににやけてしまい、ちょっと恥ずかしい。
 持ってきた器全てを空にしきったタナッセの唇に、自身の唇を寄せていく。一方的でない啄み合うような口付けも、久しぶり。寄せた顔を彼の首や肩に擦りつける。出来ることなら抱きしめたいのに、抱きしめて欲しいのに、腹部を深く傷つけられた彼に無理はさせられないからそれぐらいしか叶わない。
「……好き」
 だから、もうこんなことして欲しくない。庇ったりなんて。最近はすっかり調子も戻ったようだし、どうせ寵愛者だから身体も強いし、ちょっと深く刺されたって平気だ。
 そういえば、結局あの暴漢は私とタナッセのどっちを狙ったのだろう。いずれヴァイルが心変わりする可能性を考えランテの四人目の確率を上げることを望んだ輩なのか、ランテの台頭を厭う人間が先代の王の子であり今代の従兄であり、良い土地を下賜されたタナッセが間違っても政治に深く関与しないよう切り捨てようとしたのか。まぁ、なんにしたって考えなしだ。……そして、そんな愚挙の結果がタナッセの大怪我だと思うと、指示した貴族が憎らしくてならない。
「おい、そんなことよりお前はもう大丈夫なのか。目覚めた瞬間倒れられたこちらの身にもなってみろ」
 勿論だ。こうして一緒に居るだけで、みるみる元気になっていく自分がよく分かる。完治にはまだ遠いけど、熱もまだ高めだけど、それでもこうして話が出来て、ご飯を食べてくれて。
 そんな思いを伝えると、タナッセは顔を真っ赤にしてしまう。首を傾げると、
「……お前、分かってないだろう。あぁいい、いい、答えないで。分かっていない、いる筈がないのだからな、どうせ」
 独り合点した。何か言ってやろうと考えを巡らせ――やめる。代わりにさっきまで考えていたことを、庇ったりしてくれなくて問題ないのだということを訴える。即座に彼は理由になるかと口をひん曲げて切り捨ててきた。
「私とお前、身体の厚みにどれほど差があるのか考えた試しはあるか? 得物によってはお前の背を貫くぞ。毒が塗られていた場合、体格の差が毒の回りにどれほど影響を及ぼすと思う? まだ助かる芽があるのはどちらだ」
 言って痛そうに顔をしかめるものだから、反論も忘れて私は横になるよう懇願した。無理して怪我が悪化して……なんて嫌。厭だ。絶対に駄目。
「もし、」
 もし、タナッセまで母さんみたいになったら。
 声が震えた。頭に浮かぶのは細切れの場面。母さんの髪の一筋の流れさえ記憶に残っている部分と、自分の実在すらあやふやな記憶が混合しているから、あの頃の記憶は自然そんな思い出し方にしかならない。
 母さん。
 私と――僕と共にあった十四年は、本当に辛いばかりの日々だったはず。
 さいご、あんなに苦しんでいいひとじゃなかった。
 でも、登城する前入れられた沐浴はさっぱりしたし、着せられた服は古着の癖に肌に引っかからないし、ご飯だっておいしかったし、城の寝台は柔らかくて熟睡してしまった。
 振り払うように私は首を振る。言う。
 平気。全然平気。タナッセだって睡眠薬効くのが遅いみたいな発言していたのだし、きっと寵愛者とやらは毒にだって強いはず。
「確かに、言った。即効性だと言われたから、もっと早く効くかと……しかし持ってきたのはあの魔術師だ。死ぬことはないと口にしておきながら、お前をあんな、あのような……薬とて実際の効果のほどなど知れたことか。それを論証にするな」
 言い返そうとして、喉が詰まる。
 いつの間にか俯けていた顔を上げ、血の気が下がる。
 額が、タナッセの額に、汗が浮かんで。
 駄目。彼は声量こそ傷に気を遣っていたけれど、それだってまだ長い時間話したり身を起こしたりしていていいはずないのに、無理をさせてしまっている。
 お願いタナッセ、話は次にしよう。今はお願いだから、休んで。
 全身が心臓になってしまったような錯覚をする。鼓動が激しくて――頭の片隅、冷静の私はそんな私を脆弱だと嘲った。
 タナッセはしばらく無言で私を見詰めていたけれど、やがて横になってくれた。
「反則だろう、その顔は」
 呆れかえった言葉がありはしたけれど。
 実際興奮なんかしたものだから疲れていたのだろう、彼はすぐに寝息を立て始めた。その横、寝台の脇の椅子で針を動かしていく。
 本当なら包帯を巻き直す予定だったけれど、脂汗が浮いている人間に無茶させられないので、しばらく待機。来客なし、仕事……あるけど急ぎではないしあとでどうとでもなる量。頑張ったから、あとで褒めてくれると嬉しいって思ってしまう。
 しかし、元々はタナッセが目を覚ましてくれるよう願った柄だったのに間に合わなかった。……指が震えてたものだから無駄に時間を食ったのだ。返す返すもひ弱な心だ。
 ――正確には、違うか。
 逐一母の事故と重ねてしまうのだから、愚か、と表すべきだろう。
 落ち着けば、分かるのに。
 何ヶ月か前に、タナッセが風邪で倒れた時もそうだった。
 周りに迷惑も掛けた。本当、早く直さないといけない、この悪癖。
「…………あ」
 幾らか落ち着いた感じ。
 少し寄っていた眉根は解け、熱から来る荒さはあるものの呼吸も穏やかになりつつある。
 こうして嘲りを含まない表情で居ると、それはもうとっても格好いい。本当はそうしていても綺麗なひとなのだけれど、王城では悪いと言われないまでも良いとは評価されていなかった、勿体ない。
 でも、綺麗なのは顔だけじゃない。
 御前試合の日、隠れるように一人鍛錬していた真剣を知っている。
 嫌いな人間の行動でも、認めて褒めてしまうことがあるぐらい詩に対して真摯だと知っている。
 ……憎んで、嫌いで、湖に突き落とすぐらいの気持ちで居ても。
 色々を考えた上での儀式でも。
 それでも、死にそうな私を前に、儀式をやめてくれた。焦ってくれた。謝りに来てくれた。
 知ってる。
 凄いひと。大好きなあなた。
 なのに……残るだろうか。
 そっとタナッセの、傷があるだろう場所に触れる。
 いやだと思う。
 私なら、いい。どうせこんな性格だし、あんな生活してたから今はともかく元々は傷多かったし。
 触れてどうなるわけでもない。寵愛者と言われても特別な力なんて何もないし、アネキウスに願いが聞き届けられるわけでもない。
 でも、だけど、言わずにおれなかった。
「お願いします、神様」
 このひとに、傷を残さないで下さい。
 このひとが、もう傷つくことのありませんように。
 母の死にまつわる全てを、このひとが私にしてくれたように、きっと受け止めますから。
「タナッセ……」
 知りたくない私をあなたは示す。子供の時分からずっと、ずっと。
 でも。
 ううん、だから、
「好き、なんです」
 視界が滲む。溢れてくる熱を止められない。
 彼の髪は穏やかな空の色。閉じられた瞳は木々の緑。
 なら、この涙が彼だけに捧げられるアネキウスの恵みになればいいと。
 そう思って、私は少しだけ涙した。





【 0 】10th days / φ

 よく晴れ渡り、雲一つなく風も穏やかな昼下がり。
 その邸に仕える者の間で“奥中庭”と称される、寵愛者のためだけの小さなちいさな中庭には、一組の男女の姿がある。それは、邸においては日常で。ただ、青年の方が寝転がっているのは些か珍しい光景だった。
「すっかりしそびれていたが、改めて言っておくぞ、私は」
 妻の膝を枕にした彼、タナッセは、道理に疎い幼児に常識を説く大人の調子で語り始めた。悲鳴とも呻きとも鳴き声ともつかない声を上げた彼女に一瞬相好を崩しかけもしたが、
「今後も私はお前を守る。それは、変わらん。覚えておけ」
 瞬時に潤み始めた黒の瞳。咄嗟に彼女の頬に手を伸ばし、何度か撫でる。
「あぁ、誤解するな。いや、先日は私も言葉が足らなかった、すまない。やはり怪我のせいか気も立って……待て、その顔になるな、こうなったのは私の力不足で――足らないものが多すぎるな、我ながら――だからだな、お前を庇った上で私が無傷であれる程達者な人間なら済んだ話だろう、今回は」
 上空のアネキウスは眩しい。
 目を細めながら語るタナッセに、けれど彼女は気付かぬまま顔色を変える。
 なんでそうなのか、どう考えても私のせいなのだから力不足だとか考えて欲しくない。大体なんなのか、まだああいうことが起きた時、私を庇う気でいるのか。次は怪我をしないよう気をつけるから、とでも言う気なのか。
 まくしたてる、興奮のせいで常より高い声。
 未成年を連想させる響きで夫の顔には自然微苦笑が浮かび、頬に宛がったままのてのひらをまた動かし始めた。妻は自身のてのひらを伸ばす。彼の撫でる動作を阻害しないよう、完全に重ねはしない。
「……お前はどうにも抜けているな。その賢さと間抜けの迷路はなんなんだ、一体どういう思考回路をしているのやら。つまり……まぁいい。ともかく、警備体制も見直しているし、お前は今後は二度とあのような事態が起きないと安心だけしていればいいし――――お前の母上のようにも、ならない」
 じっと口を引き結び彼を見下ろしていた彼女だったが、
「信じる」
 肯いた。
 タナッセは、今も私から逃げず一緒にいてくれているから。安心していいと……こわいことはないと、そのあなたが言うのなら。私はあなたを信じたい、いや、あなたは信じられるひとだから、本当に私自身がどうか、なんだ。いつだって。
「だから、頑張る」
 ゆっくりと。
 焦れる遅さで彼女は唇を緩め、そうだった、と柔い響きで続けた。顎を引き、天に伸ばしていた姿勢を、夫を覗き込むものへ転じる。
 中天のアネキウスは、彼女の身体でちょうどタナッセから隠される。
 彼女の顔にも、影が落ちる。
 けれど、それでも唇ははっきり弧を描いた。
 いつだって、誓ってくれるのも、叶えてくれるのも、タナッセ以外に居ないのだ。










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優しく保護するも翅をもぐも
指数本で充分じゅうぶん十二分。

以前に書いていたネタがようやく回収出来ました。すっきり。
(「かもかてキャラ語り」タナッセ項末尾のネタです)
途中いつも以上に妙につっかかって結構難しかったです、おーいえー > (:D)rz

タナッセはやっぱり万一の時は、
暴漢に立ち向かうより奥さん庇う気がします。
腕の立つ武勇特化主人公でもそうしそう。



「意志疎通が微妙に上手くいったりいってなかったりするんですわ、当時から。お互いの都合のいい部分にハマる感じで」
 それが相性というものだろう。
(境界線上のホライゾンⅢ中 川上稔/一部略)

今年もそんな感じで仲良しなタナ主書きたいです。
応援イラストの3枚目とかも描きたいです。

しかしゲームでイベント数恵まれてて「も☆ぐら」でも結構出張ってて
なおかつ外伝まであるのにタナッセ分が足りません。

(以下、旧のびTAボイスで)
ドラ○も~ん、アネキウス歴7403年のリタントで王息殿下の部屋付きにしてくれよぉ~。