【 注 意 】
・現代パラレル
・タナッセといっしょ
ひまわりと飛行機雲
「呆れるぐらい暑いな。……平気か?」
熱い。
暑いというより熱いと、日傘を両手で握りながら私はタナッセの隣を歩く。彼も大層げんなりした様子で歩いている。ついでに、少し後ろに上背あって筋肉にも恵まれたボディーガードの青年が付いてきていた。
天を見上げずとも辺り一帯ハレーションを起こし、眩しくてならない。
延々続く砂利道には逃げ水も見えた。狭い砂利道の両脇には緑の稲が風に揺れていたけれど、一向に涼しくなんかないどころか、熱風で煽られた頬が痛いぐらいだ。
遮蔽物は一つもない。
木製の三方に壁を持ち、屋根もある。そんな小さな建物は時折あったけれど、他に広がるのは空の青と周囲を囲む緑の稲と樹木、あとは砂利の灰色。
ちょうど中途半端な時間なのか、農作業をする人もあまりいなかった。来た道を逆行くと民家が点在しているし、帰って涼しい部屋で昼食を食べているのだろう。
暑さ真っ盛りの時間帯。でも水分摂取は怠っていないし、日傘は遮光も遮熱もUVカットも90パーセント以上の一級品。正直、顎に汗伝わせてる彼のほうが平気じゃなさそう。
「……まあ、なんだ。元々予定していたことだ。それに、私とて見てみたいしな」
答えになっていない応えと共に、タナッセは寄せていた眉を解放した。
予定したことを崩さないのは、いかにも彼らしい。思わず笑ってしまう。
「大体、のこのこ別荘に戻ってみろ。ヴァイルにもユリリエにも散々言われるのが目に見えているだろうが」
タナッセ体力ないなー、行けなくて残念だったろあんた、とか。まぁ……まあ、仕様がないですわね、タナッセとでは、とか。
二人の表情までありあり浮かんでくる。で、揃って言うんだ。自分たちはともかく、彼女は初めて別荘に来たのに、って。予定を立てている時もそうだった。
そう、私だけが初めてで、だから別荘周りの何もかもを知らなくて、新鮮。
「灯台下暗し、とはよく言ったものだな。お前が来なければあるということも知らずに――いや、あると知ったとて足を運びはしなかったろうな」
言ってタナッセは手元の地図に目を落とす。地域振興用の小さな折りたたみ式パンフレットには、仰ぐ私から見えはしないけれど、あるイラストに丸印が付けられてある。丸印までの道のりを確かめたろう彼は、そこを右だな、と人差し指を向けた。田んぼが途切れてすぐ、右手側に広がる雑木林のほうだ。
歩いて行くと、意外に人が踏み入るらしく、蔦状の深緑がアーチを描いている一本道がずっと続いている。雑草がはびこり砂利と土が混じった足元は歩きにくそうだった。
「ここを超えると目的地だが……、」
パンフレットを胸元のポケットに入れながら、彼はちらりと視線を下方にやった。私の顔より下で、ちょうどこっちの胸にあたるものの、少しずれている気がする。というかタナッセ、そんなに自発的に見てくるタイプじゃないし。不思議に思い首を傾げたけど、すぐさま前方に顔を上げてしまう。なので、声に出して尋ねてみた。
「ど、どうもしない。していない。行くぞ」
さっさと進んでしまうタナッセの背に、ん、と肯いて私も付いて行く。
でも、最初の見立て通り、道の状態は良くなかった。……ちょっと履物に色気出したのも、良くなかった。というか莫迦だった。急いだ足先は地面の何かに取られてしまい、けど無意識が転ばないようにと数歩を細かく刻ませる。わ、とか、あ、とか声が漏れる。ステップも声も勢いは殺せないまま、私は固く湿ったものに顔面をぶち当てるはめになった。
鼻、痛い……。鼻の肉がぐいってなって、骨もぐりってなって、痛い。
擬音まみれの思考に、心配の声がかかる。
「おい……おい、大丈夫か? やはり暑さにやられたのだろう。なんなら今からでも帰るか? まだあまり無理をしないほうが……」
鼻を押さえながら声のほうに目を向けると、顔だけ振り返らせたタナッセの慌てた表情が見えた。固いもの、はタナッセの背中だったんだ。
大丈夫、平気、と身を離しながら返す。間抜けにも足を引っ掛けただけなのだから。
白色の日傘を掴んだままの右手を明後日のほうから頭上にかざし直す私に、
「あー……その」
躊躇いがちな響きが、てのひらを差し伸べてきた。
熱で頭が膿んでるのかもしれない。その行為は、分かるようで分からなかった。じっと見つめると、言葉が継ぎ足される。
「道が良くないのだから、ま、また転び掛けるやもしれん。手を……繋いでいれば、そう、多少は防げるというか、咄嗟に助けられるかもしれないからな。だから、そう、そうだ、私がお前と手を繋ぎたいわけではない。ないぞ。勘違いするな。……するな、いいな!」
後半ほとんどまくしたてる勢いになった。
照れ隠しに微笑みが浮かぶより先に、喜びが先に心を占領した、と思う。
私は、日傘を左手に持ち直す。持ち直して、空いた右手を彼の左手に乗せ、首を一度縦に振りった。いざって時は助けて欲しい、と握り込む。
「あ、あぁ、任せ、ておけ」
タナッセも握り返してくれる。
そのまま、木漏れ日射しこむ道を、さっきまでよりゆっくり歩く。
暑いのに。
熱いのに。
それでも、汗が滲んでも、手を繋いだまま歩く。
会話は途切れがちになってしまったけれど、心地よい沈黙だったと思う。私は、そう思った。
幸い、なのか、残念、なのか、私はその黄色を臨むまで一回も転ぶことはなかったけれど。そう、黄色。目的の場所。一面の、というには隙間も多い花畑だ。太陽を必死に見やる、薄くあっては黄色、濃くあっては橙の、背の高い花が私たちが立つ場所より一段落ち窪んだ一帯には咲き誇っていた。
ひまわり畑。
濃い緑を、影落ちる道を歩いた先、陽射しの下で。
それが、目の前には広がっていた。
「これはまた……あの田舎道の果てとは思えんな」
感動の吐息を吐く私の隣で、タナッセもまたそんな感想を口にする。
すごいと同意して、私は手指の握りを強くした。そのまま花の中に走って突っ込んでいきそうだったからだ。稲の緑だけが広がる場所から緑の暗がりを超えた先に、あざやかな黄色が青空の下に広がっているなんて、言葉じゃ形容が足りなかった。
ふと空を見上げる。眩しくて目が自然細まる。でも、
「ひこうきぐも!」
あれに乗って来たんだ、綺麗、と私はタナッセと繋いである側の手を前後に振った。
「……あれではないだろう」
そういう意味じゃないのだけれど。物書きなのだからニュアンスで察して欲しい。
「言葉は正しく用いるんだな。というかお前はやれば出来るのだから普段からだな……」
お定まりのお小言にうんうん肯きながら、私は雲を見つめる。一筋の線を描く白は、湿度の多さからか長く尾を引いて進んでいく。
こら、とタナッセは手に力を入れて振り子状態だった自身の左手を大人しくさせた。
「全く……全く」
と、途中までは眉を吊っていた彼だったけど、やにわに相好を崩す。「全く、そんなに楽しいか」
もちろんだ。
旅行は初めてで、モルもいるけど、まぁ実質二人きりで、手を繋いでもらえて、ひまわりは綺麗で、空は晴れ渡っていて、真っ白な雲が真っ直ぐに途切れることなくどこまでも線を描いて。
楽しくて嬉しくて、幸せなことばかり。
「――――、……あ、ああ、そうか、そうだな、珍しいな、あぁも長く飛行機雲が連なっていくのは。明日は雨かもしれん」
返事、なんかずれてる。
でもせっかく繋いだ手が離されたら嫌だから、気付かなかったことにしておく。
そうしてずれた言葉に肯き返す。
私たち二人も、と。
私たち二人も、ずっとこうしていられたらいい、と。
また「言葉は正しく用いる」ように、と言われてしまうだろうけれど、意味するところはまだ口に出来ない。恥ずかしさが先立ってしまって、口にするのは叶わなかった。
「ず……!」
けど、タナッセは硬直してしまった。
そのまましばらくの間、何を話しかけても反応してくれず。
とうとう軽い熱中症を起こし、夕焼け色が地平線近くに見える頃まで結局その日の予定、こなせなかった。
だから結局、ヴァイルとユリリエには呆れられてしまう一日になって。
でも……うん、でも、私にとってはかけがえない一日だったから。
だから、同意を欲されても、私は二人に笑って首を振るのだった。
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タイトルは堀江由衣の楽曲から。
割とまんま。
大好きな曲なんですがカラオケにも某機種にしかないのが残念。