【 注 意 】
・タナッセと婚約後のある日
・憎悪であって憎悪ではなく
ブラウ・ブルーメ
突然の出来事だったから、私は驚きで鼓動を一度強くした。
ぼっと歩いていたら、急に眼前を足音も高らかな背の高い人影で覆われたのだから、当然のことと言える。
人影は、青くて緑。見上げないと視線が合わないその男性には見覚えがあった。
いつも一人。
いつも眉は眉間に不満げに寄って。
いつもいつも、何をするでもなく歩いている。
広間を出て行った奴ことタナッセ・ランテ=ヨアマキスは、私に気付かず背を向け去っていった。今日も一人で――護衛が付いていると言えばいるけど、根っからのお貴族様な奴にとっては信頼に足ると感じていたとしても、物の数に入っているかは怪しい話だ――不満げで目的はなさそうで。
いつも一人、なのはまぁ心境を想像出来なくもない。眉間に力が籠もっているのも、貴族どもや使用人らの陰口は耳に及んでいるだろうから納得する。
でも、何もしない、ってどんな感じなのだろう。
口が回るだけの能なしと評価されて、政務を手伝うでもない。
私は……強いて挙げるなら城へ連れてこられる間が“何もしない”の期間だったものの、あれは酷く据わりが悪かった。ローニカは二言目には、寵愛者様ですから、とか、一介の侍従である私めに何か口にする権限は、とか口にしてくるので、あの間はほとんど何も分からず鹿車に揺られて眠るだけだった。大きい街に立ち寄っても、危険があるといけないからと宿に押し込まれ、ため息だけが友達。
けれど、タナッセは二年以上そんな過ごし方をしているらしい。
――――まつりごとに関わらないのならば、宙ぶらりんな連中同様芸事に勤しむか、いっそ神殿にでも入ってしまわれれば良いのに。
言っている貴族もあった。
つまり、裏を返せば、奴は真実何もしていないってことだ。
莫迦なら、分かる。
奴が心底の愚物だっていうのなら、ちゃらんぽらんな現状を諾々と呑めるだろう。でも、私に厭味を言うためだけに待っていたり、ことあるごとに突っかかってきたり、あまつさえ先日は利害の一致を掲げて婚約を申し出てきた。
何を考えていないわけでもない。奴の工作は成果を上げているから、反ヴァイル派の陣営にもきちんと繋ぎを取っているか、自身で行っているわけで……少なくとも、貴族連中の通り一遍な評とはまるで異なることを私は知っているのだ。
現状に不満がある。私への厭味や皮肉は意外に身の処し方に役立ちもする。
いつも一人で、ほっつき歩いて。
タナッセは一体何を思っているんだろう。
顔を突き合わせればこっちを莫迦にしてばかりで、腹が立ってどうしようもなくて。
だから疑問なんて売ってしまえばいいのに、せっかくの休み時間、どうして私はあんなののために思考を割いているんだろう。
むかむかしていると、背後から声が掛かる。持って回ったというか、芝居がかった台詞がいかにも面倒な、親から継いだ爵位だけが自慢の初老の男とその妻だ。気には食わないけれど、機嫌を損ねてはかなわない。
タナッセなんかのことを頭の隅に追いやり、私は慌てて夫婦の名を記憶の中から引きずり出し、表情を作った。
なのに。
広間に入ればさざめく笑いがある一人を指して盛り上がっていて、思わず耳を傾けてしまう。なんというか、そう、下手な囁き声の方が耳に滑り込むせいだと思う。
またヴァイル様と。
テリジェの長子が。
やはりあの惰弱なヨアマキスの。
何か一つでも陛下に似ていれば。
今は別の会話に集中しないとならないはずが、視線が広間の隅から隅までを確認しようとしてしまう。堪えようとしても気を僅かでも抜くと動いて仕方なく、結局私はヴァイルの姿とテリジェの長子――ミーデロンの姿を視界の端に収めた。
何やってるんだろう。
気もそぞろだったおかげで、大事な相手だったのに久々の大失敗。余裕がある様を見せつけ去っていったけれど、次の舞踏会では取り巻き連中を引き連れてきてややこしい話になりそうだった。
……本当、何やってるんだろう。
ヴァイルに向かって鷹揚そうに笑っている夫妻の姿を見やると、自己嫌悪で全身に重りが付けられたような披露が襲ってくる。いつも通り輝く程磨き上げられた食卓に、いっそ突っ伏してしまいたかった。
あぁもうなんだってあの二人はむやみやたらと仲がいいんだ。
こっちは最悪な“婚約者殿”のせいでこんなだってのに――。
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リハとかビリビリ。