いわゆるフリーゲームに関する感想や二次創作メインに投稿しています(2023年現在)。取り扱い作品:『冠を持つ神の手』

2013年2月14日木曜日

【かもかてSS】のいばら いばら

【 注 意 】
・タナッセ愛情B後
・タナッセ視点三人称



のいばら いばら



 白の月に入ってすぐの、よく晴れた日だった。
 見上げた蒼穹に雲は一つもなく、しかし緑と茶の高い木に漆黒の人影があった。常であれば上げない声を、その時彼が、タナッセが発してしまったのは人影が纏う衣装が動きやすい中性服ではなかったためだ。人影は、自身の長い黒髪と混じり合う装飾ない同色のドレスで太い枝に腰掛けている。長く身動きをしていないようで近くには小鳥も何羽かいたものの、彼の掛けた声のせいだろう、いずこへか飛び去ってしまう。
 人影は――彼の妻である女性はそこでようやくタナッセの存在に気が付いたらしい。見下ろして小首を傾げながら彼女は声に応じた。
 今日は特別な日だから。
 返された内容が咀嚼出来ないタナッセに彼女は更に口を開き掛け、けれど困った顔になる。適当な説明が浮かばなかったものか。代わりに、でももうそちらへ行く、とはにかみながら立ち上がった。実際、動きづらいだろうに彼女は軽やかに途中まで降りてくる。
 足首やふくらはぎが覗くが、絹のガーターストッキングが肌色は隠しており、多少はましと言えた。とはいえ、身分ある女性が晒していい部位ではない。そもそも、布地に覆われていようとタナッセにとっては――生々しかった。なので、更に声を上げる。はしたないとかそんな意味の言葉をしどろもどろで。彼女は軽く実を竦めたが即座に一音声を零し、いたずらめいた笑みを口端に上らせ、言った。
 なら受け止めて、と。
 またも理解が及ばないタナッセに、しかし今度は間も言葉も降ってこない。代わりにあるのは、だいぶん目線の近づいた華奢な身体が枝を蹴る姿。上に跳ねる動きではもちろんない。木そのものから離れ、地へ飛び降りるためだ。
 咄嗟に広げた腕の中、狙ったように抱き慣れたあたたかみが収まり、ただ、勢い自体は殺しきれずに芝生へと倒れ込んだ。
 衝撃は録になかった。さしたる高さからの跳躍ではなく、何より腕の中で砂糖菓子の笑い声を転がす女性があまりに軽い身体を持っているからだ。タナッセはすぐに身を起こそうとするが、倒れ込んだ時に互いの脚が絡まり合ってしまったらしく、動きの途中で再び倒れ込んでしまった。嬉しそうな笑い声が更に深くなる。子供を連想させる無邪気なそれに、出かけた文句は喉元で全て萎えた。
 言うことは出来ず、起きることも出来ず、彼はなんとはなしに手持ちぶさたな手でいい香りをさせている艶やかな彼女の髪を撫でる。梳くように動かすと、籠もった体温と柔らかい感触が指先を包んだ。更に指を進めると、地肌や首元に触れる。垂らした髪の奥にあるそこは熱いとも感じた。
 幾度も梳いているうちに、タナッセは笑い声がなくなっていることに気付く。今、声ではなく僅かな熱が胸の辺りで繰り返し彼に当たっている。鼻に掛かったような、喉の奥で響いたような、詰まった音も時折混じっている。絡んだ彼女の脚が、彼の脚を締めつけるように動く。……意味するところは明白に過ぎた。
「あー……その、おい……?」
 タナッセが手を止めると、ぎこちない動きで上気した朱の顔が持ち上げられる。下がった眉尻と上目遣い、尖った唇が酷くうらめしげだ。瞳には淡く涙も刷かれている。頬が膨らんでいるのはどうにも幼い印象だが、全て含めて彼の目には扇情的に映る。どれも、余人の知らない彼女の表情だからだ。
 そんな触り方しないで欲しいと言い、彼女はまたタナッセの胸に突っ伏した。初めて夜を共にした時から予感はしていたものの、タナッセの妻は今のようなもどかしい触れ合いでも容易に溺れてしまう人間らしい。むしろ焦らしたり言葉を用いる方が悦ぶような気もしている。いや何より――そこまで考え、それ以上は必要な情報ではないと彼は急いで頭の中から弾いた。
 悪い、すまない、申し訳ない。謝罪を重ねようとして、けれど先手を打たれる。タナッセの顔に影が落ち、唇に柔らかなものが当たった。触れるだけの口づけだ。彼の脚に絡まっていた感触はなく、引きはがそうと思えばいくらでも可能な儚い接触だったが、甘んじて受け容れてしまうのは思考が途絶えたからに他ならない。
 本日三度目の不明は、本日とっておきの一撃だった。
 タナッセも、と、息が掛かる程度に離れた唇が言葉を紡ぐ。タナッセも、鼓動がすごく早くなってるから、だから。
 続きはなく、また唇を重ねられる。そこでようやく彼の頭はまともに回転するようになった。今度こそ彼女の肩を掴み、身を起こす。僅かに焦点の甘くなった瞳に喉が鳴るが、昼日中の行為ではないと言いながら首を振って自身の熱を振り払った。
 よく考えたらこのまま寝室へ行けば久しぶりに出来るのかなと、そう思って、と地べたに座り込む彼女は両の手をふとももの間で擦り合わせるが、そちらも見なかったことにする。ついでに、身体の負担がって言ってあまりしてくれないし、という呟きも聞かなかったことにする。負担の話は何を言いようもないが、昼日中の衝動ではないそれは成人したてにはよくある話と、成人して久しいタナッセはよく識っていたからだ。
 だが。
 今日は、寂しくて。
 ――縋るような微かな一言を、聞き逃せはしなかった。
 肩を押さえる形だった手を二の腕にずらし、俯き気味になった顔を覗くようにすれば、やはり伏し気味の睫毛が目に入る。今日は特別な日と彼女は口にした。……彼女が母を亡くしたのは、城へ来る少し前ではなかったか。
 タナッセは眉根をよせる。しばらく考え込んだあと、悄然とした彼女の耳に入らない大きさで深くふかく、腹の底から息を吐いた。喉奥で咳に似た声を上げ、彼は二の腕に置いていた手の片方を芝生の上に、もう片方を小さなおとがいに当てて仰向かせ、驚きの声が出るより先に妻の唇を塞いだ。
 急な上向きに開いた唇の間に舌を差し入れる。慌てたようにタナッセを押し返す手が彼の胸にやってきたが、力などまるでなかった。いつも通り形ばかり、だ。咥内をまさぐり、飲み込みきれない唾液が口端を伝う頃にはその両手は彼の衣服を握り込んでいる。息をつくため一度口を離し、零れた分を舌先ですくって塗れた唇も舐め取れば、甘い小さな声と共に今度は彼女の方から唇を重ねてきた。幾度も互いに遣り取りし、息も上がりきった時には再び芝生に倒れ込んでいる。熟れた果実の紅に染まった頬を持つ柔い身体をタナッセが押し倒している状態だ。
 例外はあれど、妻のための小さな中庭には、領主夫婦である彼らしか訪れない。おかげで警護も気にせず規模の割に樹木も多く、周囲からはおよそ目につかない。
 故に当初の目的も忘れ場所も時間も忘れタナッセは布地越しに太ももに触れるが、文字にならない声が彼女から短く上がって我に帰った。次いで、まだ外でするのは難易度が、と挑戦的に過ぎる言葉がある。いずれはしたいという意味だろうかと一瞬思うが、タナッセは首を振って思考を切り替えた。
 こうなるだろう、と彼女の上から退いてすぐ傍に座り直す。こう?とぼんやりした声が尋ね返してきて、半ば自棄気味に言い放つ。
 こんな昼日中だろうが止められない算段の方が高い程に想っているからこその引きはがしであり、落ち込む必要などありはしないのだ。大体母の命日だというなら素直に言え、急ぎの仕事や面会はどうしようもないがそれ以外は後日に投げて一日休みにしても構わない――――。
 詰まるところ、前半はどれほど激しくタナッセが今も横たわる彼女を想っているか宣言し、後半はなんでもしてやると改めて約束したようなものだ。
 自身の発言ながら、あまりにはっきり言い過ぎた事実に彼は頭を掻きむしりたくなって、立てた片足に顔を埋めた。そして肝心の彼女は一切の言葉を発しない。一層羞恥は強まり、何か言えとついには面を上げ。……タナッセは驚いた。上半身を起こした妻の、僅かに見開かれた大きな瞳から涙が溢れていたからだ。何故泣いているか問うても、白い手を目尻に伸ばしようやく気付いた様子の彼女は、静かに涙を零し続けるだけだ。何度か瞬き、か細い声が何が面白いのか妙に明るい声音で言う。
 すごい、泣いてるんだ。久しぶりで分からなかった、ごめん。
 声さえ細くなっていなければいたずらめいた響きのせいで泣いているとは分からないぐらいだ。――タナッセの中で何かが噛み合う音がした。思い出したのは、およそ一年前の出会いから今まで。未成年とも思えない聡明な立ち居振る舞いと、険悪な仲の頃はごく稀に、あの儀式以降は頻繁に見える妙に幼い危うい、だが本人が自覚していないらしき部分だ。少し暴力的な心地で彼は思う。彼女はとうに大人だが、思う。
 諦めに抵抗をやめるのではなく。
 子供の自分を凍結させず。
 こどもはこどもらしく、声を上げて泣いてしまえ、と。
 与えられる印象が乖離しているように、おそらく彼女の中でも村で生きていくためにずっと大人をやってきた部分と、無かったが確実に存在していた子供の部分がいまだどこかで噛み合っていない。だからおかしな泣き方になる。
 しかし、言葉で指摘して済む代物であるようにもタナッセは思えなかった。何しろ十六年分の思い込みである。全てが溶け合わさるには、時間自体が掛かるはずだ。こればかりはどうにかしろの一言で変わるものではない。仕方なく、今は溢れる涙を指で拭うだけにする。彼女は黙って受け入れ、頼りない微笑みを浮かべた。
 少しだけ分かった、とよく通る響きに戻りつつある声が言った。
「何がだ」
 と相槌を打つと、答えではなく立ちたいから手を貸してと要望が返る。タナッセは眉をひそめるが、言い分自体は不条理なものではないと先に立ち上がり手を差し伸べた。比べて小さなてのひらがその手を握る。
 本当に、タナッセはいつでも私を救けてくれる。絵物語の王子様みたいだ、と言いながら。










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のいばら=野薔薇。
花も花言葉も綺麗でいいですな。
また、SINGER SONGERの
「SING A SONG ~NO MUSIC,NO LIFE~」が元ネタでもある。